の続き。
ノシャップ岬を周った後は、日本海沿いの道をひたすら南下。
オロロンラインに合流するまでは意外に人家も多く、魚干し用の木組みの櫓とか、海に向かって建てられた船舶用と思しき標識灯?などを興味深く眺めながら車を走らせていました。
オロロンライン合流後は道路脇の人家もぱったりと途絶え、こんな感じに。
これでも電線がある分、まだ人の手が多い方。
途中、抜海(ばっかい)という集落に入り、そのはずれにあった抜海神社にお参り。
別に観光ガイドに載っているような神社ではないのですが、事前にGoogleMapで経路を眺めていた際に、神社のそばに「抜海岩陰遺跡」という表示と、いかにも信仰の対象になっていそうな巨岩を見つけて、若干気になっていた場所でした。
小さな社殿の脇の小山にそびえる巨岩。
巨岩の前にあった「抜海岩陰遺跡」の説明板。
抜海という地名自体、この巨岩(アイヌ語の「バッカイ・ペ=子を背負う者」に由来しているようです。
周辺からは続縄文・オホーツク文化・擦文文化の土器資料が出土しているとのこと。
社殿。
社殿の後ろに建てられていた忠魂碑。
奥にある電波塔も印象的。
神社といえば鎮守の森が付き物という印象がありますが、そういったものがない草原の中に建つ神社というのもこの辺りならではという気がします。
抜海集落を抜けた後は再び何もない一本道をひたすら南へ。
途中、海沿いに建てられた休憩施設にて休憩。
晴れていればこの辺りから利尻富士が見えていたと思うのですが、御覧の通りの天気で展望はかなわず。
とはいえ、この天候のこの空気感もなかなか。
道中見つけた牧場と牧草のロール。
路側帯に停めて撮影。
間違いなく現実にあった光景のはずなのですが、今見るとどうも現実感が無い。
稚咲内から一旦海沿いを離れ、海岸砂丘林を超えてサロベツ原野へ。
だいぶ新しい感じのサロベツ湿原センター。
展示室内の様子。
標高が低いから低層湿原、という訳ではないのね。
他には湿原の形成史とか、
開発と保護の歴史などが紹介されてました。
展示の後はセンター周辺に整備された遊歩道を少し歩いてみたのですが、
遊歩道の入口にいきなり湿原には似つかわしくない重機類が展示されていて驚かされます。
この場所には昔、湿原に堆積する泥炭を採掘して肥料に加工する工場があり、平成14年(2,002年)まで稼働していたとのこと。
浚渫船。
昭和45年(1970)から32年間、これ1隻で150haを浚渫していたとか。
湿原の一部に残された浚渫の跡。
一面の湿原。
湿原入口にあった注意書き。こわい。
湿原センター脇の泥炭産業館。
泥炭を原料にした土壌改良剤の製造機械が展示されていました。
サロベツ原野から再びオロロンラインへ。
道中、なんだか車を停められるスペースがあるなー、と思ってたら、昔はこの辺りに休憩施設があったようで。
道の左右にあるのは原野のみ。
オロロンラインに戻り、ふたたび南下。
牧草ふたたび。
延々と続く、道路の境界を示す矢羽根。北海道ですなあ。
途中、道路脇に風車の並ぶオトンルイ風力発電所に寄り道。
もうすぐお昼だというのに未だに天塩にもたどり着かない。
果たして留萌までたどり着けるのか。