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加茂水族館からは車で大体15分ほどの距離。
10世紀初頭に妙達上人によって創建された龍華寺がその始まり。もとは天台宗のお寺でしたが、14世紀に曹洞宗に改められ、現在の寺号に。曹洞宗三大祈祷所の一つであり、また龍神信仰に端を発する航海安全の寺として海運・漁業関係者の信仰を広く集めており、今でも立派な伽藍が境内に残されています。
江戸中期から明治時代に建てられた堂塔の多くが国の登録有形文化財になっています。こちらは明治13年(1880年)に再建された龍華庵(国登録)。お寺の前身である龍華寺の本堂を再建したもの。
立派な彫物に彩られた総門(国登録)は安政3年(1856年)の再建。
五重塔(国登録)。明治16年(1883年)、「魚鱗一切」の供養塔として建立に着手され、10年後の明治26年(1893年)落成。
五重塔にも所々に見事な彫物が。彫物の中に十二支が隠れているというので、丑年なので牛だけ見つけて撮影。
五百羅漢堂(国登録)。安政2年(1855年)落成。中には釈迦三尊と五百羅漢象を納める。
五百羅漢は松前の豪商である伊達家・栖原家によって寄進されたものらしく、かつての北前船による交流を示すものとなっています。
東北芸術工科大学との協働による修復プログラムが進行中でした。2015年から開始されて完了予定は2035年と息の長い企画。
内部の彫物。
仁王の代わりに毘沙門天・韋駄天が山門を守護しています。
石段を登り、本堂にお参り。本堂は昭和34年(1959年)の再建。
内部拝観も受け付けていたので、一人500円を納めて内部も見学。
中では修行僧の方々が居り、すれ違う度に丁寧に合掌挨拶を受けた。邪魔にならないよう、本堂や禅庭、慈照殿などを見学。
慈照殿の内部は小規模ながら宝物殿のような展示スペースも。かつてお寺の近くを通っていた庄内交通湯野浜線にまつわる展示がされていました。そういえばお寺の前の公園には客車が1輌保存されていたな…(見に行かなかった)
自分たち観光客が見学している横でも、片隅で修行僧の方が読経を始めたりしていた。信徒会館も大きく、今も尚信仰の拠点であることがひしひしと感じられた。
お寺のいちばん奥、本堂よりも高い位置に鎮座する龍王殿(国登録)。天保4年(1833年)の再建。
かつて妙達上人の前に現れた二龍神を祀る。真ん中の菊の御紋は有栖川宮家の御霊牌所となったことに由来するとか。神社風(権現造)の美しい建物で、神仏習合の名残りを感じさせます。
境内を脇道から下り、貝喰の池に向かう。
開山・妙達上人の前に現れた二龍神(竜宮竜堂大龍王、戒道大龍女)が、上人の法華経を聞いてこの池に身を隠した、という伝説が残されている池。
この場所を一気に全国区でメジャーにしたのが平成2年(1990年)に全国報道された人面魚。ブームの頃は1日に1万人が訪れたとか。
訪問時には大混雑こそなかったものの、池までしっかり整備された石段にはかつてのブームを髣髴とさせられた。観光客もひっきりなしに訪れており、程よく賑わってました。
池の周りを歩く。人面魚いないねー、といいながら湖畔を歩いていると
悠然と泳ぐ金色の魚が一匹。
いたわ人面魚。見つけられればラッキーかなという位の気持ちで訪れた訳ですが、あっさり見つけられてびっくりした。角度によっては猫っぽくも見える。
ちなみにWikipedia にるとブームを巻き起こした人面魚とは別の個体なそうです。
横からみるとちゃんと眼がありますね。
実態としては、ただ頭の模様が人の顔っぽいニシキゴイでしかないわけですが、金色に輝く体といい、あまりエサにがっつかず悠然と泳ぐ姿(いつも観光客から沢山エサ貰えるからお腹空いてないんでしょうね)といい、どことなく神秘的な雰囲気が感じられるお魚でした。この佇まいも人気の理由なのかな…
カミサンが蒔くエサ(善寶寺の寺務所で売ってた)に群がるその他大勢の鯉。
このコイも鯉のぼりみたいで可愛かった。
池の奥にある龍神堂。
そういえばいわきにも八大竜王を祀る神社が幾つかあったな…ということを思い出し、地元とのちょっとした縁を感じつつ、お寺を後にしました