の続き。
9時前に留萌のホテルを発ち、朝食は近くのセイコーマートで買ったもので済ませて、まずは前日走った道を逆戻り。
カーナビ「この先、踏切です」←もうない
— のり (@nori1104) 2017年7月16日
廃線になったばかりの留萌本線(留萌~増毛間)を跨ぐなどしながら、
鰊番屋!やはり時代は石油王よりニシン長者 pic.twitter.com/GXgC3F746Y
— のり (@nori1104) 2017年7月16日
前日時間切れで入れなかった、重要文化財「花田家番屋」に入館。
ニシンを形どった飾りが良いですね。
明治38年(1905)ごろ、鰊漁家の花田伝作氏によって建築された鰊番屋。最盛期にはニシン漁場で働く200人前後の人を収容していたとのことで中々の大きさ。
内部は親方とその家族のための居住空間と、雇い漁夫である「ヤン衆」のための居住空間に分かれており、まずはヤン衆側の方を観覧。この回廊部分にも、漁の最盛期にはヤン衆が寝泊まりしていたとか。
ヤン衆が日常生活を送った広大な居間。囲炉裏が3つも仕切られています。
見上げると骨組みが見事。
ヤン衆の胃袋を満たす台所も中々の大きさ。棚部屋の床下には十二俵入りの巨大な米櫃が保管されているそうですが、僅か3日で底をついてしまったとか。
居間をぐるりと取り囲む寝台。
土間を挟んで親方家族の生活空間。
畳敷きの空間といい欄間彫刻といい、居住環境がヤン衆のそれとは段違い。
一方で女中部屋は板の間ムシロ敷き。うーん身分社会。
客間として使用されていた「はなれ」。
「はなれ」の裏手にあったトイレ。便器にまで凝った装飾が施されていて笑ってしまう。
「金庫の間」と「仏間」。豪奢な建具や調度品が目を惹きます。
欄間の透かし彫り。
ヤン衆の間の巨大さと親方衆の間の豪華さ。どちらも往時の鰊漁の繁栄ぶりを十分に偲ばせるものでした。
その後は鰊番屋に併設された道の駅の展示スペースを見て回る。
ちょっとした歴史資料館的な展示スペースもありました。
小平町の沖合で撃沈された引揚船に関する展示が特に印象的でした。