nori1104の日記

旅行とか展覧会の感想とか

北海道旅行2日目④ オロロンライン南下(天塩~留萌)

nori1104.hatenablog.com

の続き。

この日の宿泊地である留萌まで、道中の博物館を覗きながら南下します。

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昼食後に天塩を出発し、遠別町初山別村を通過。

遠別町の市街地では神社の例祭と思しきお祭りが開かれていました。

遠別にも郷土資料館があったようですが要予約だったのでパス。

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途中、初山別の道の駅で休憩。駅から金比羅岬の灯台を臨む。

この岬にある神社も良さげな感じだそうですが、今回は通過。

 

羽幌町郷土資料館

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羽幌町の中心部にある「羽幌町郷土資料館」に到着。

建物はかつて羽幌簡易裁判所だったものを転用しているようです。

 

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年季の入ったちょっと手狭な建物に、これまた年季の入った展示解説。そして所狭しと並ぶ展示品。よくある田舎の歴史資料館といったところですが、こういう雰囲気が好きだったりします。

ここの解説でへー、と思ったのが、羽幌町には天売島・焼尻島という2つの離島があるのですが、人の定着という点では羽幌町本土よりも早かったらしいという所。縄文時代の遺跡も両島地区に集中しているほか、和人の定着も両島では江戸時代には既に漁業が行われ、明治10年頃までには村落が形成されていた一方で、羽幌本土では江戸前期に砂金の採取が試みられた他は川沿いにアイヌが住むだけだったとのこと。

 

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小さな部屋一室を丸々使って再現されていた、明治時代の「開拓小屋」。

羽幌本土にはじめて和人が定住し始めたのは明治18年(1885)頃からで、当初は写真のような木と笹を材料にした仮小屋を作って寝床としながら、土地の開拓や漁業に勤しんでいたとのこと。

 

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町の人から寄贈されたのであろう様々な民具たち。

 

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みんな大好きタイガー計算機。

 

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 和文タイプライターなんてのもありました。元は役所かどこかの備品かしらん。

 

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町内で操業していた「羽幌炭鉱」の展示。

地域に一時代を築いた炭鉱として、展示物も一際充実していました。

 

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明治時代から鉱脈の調査や試験的な採炭は行われていたようですが、操業にはかなりの時間を要し、本格的な採掘は昭和15年(1940)のこと。産出された石炭は純度が高く、灰と煙が少ない家庭用暖房燃料として重宝され、全国屈指の優良炭鉱と謳われいたそうです。エネルギー革命が進む中でも近代化を進め、昭和43年(1968)には年間114万トンの石炭を産出していましたが、その翌年に炭鉱の主力を担っていた築別坑が断層にぶつかり経営が悪化。昭和45年(1970)に30年の歴史に幕を閉じました。全盛期には炭鉱周辺に1万3千人もの住民がいたようですが、現在ではほぼ無人化。炭鉱跡には上の記念皿にも記された運搬立坑をはじめ、貯炭場や炭鉱アパートといった建物や設備が現在も廃墟として残されているとのこと。次にこの地に来るときには是非そちらも見てみたいものです。

 

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 閉山とともに廃止された羽幌炭礦鉄道関連の展示物。

 

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漁業関連の展示。

 

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抜き型。箱に印を付ける用でしょうか。

 

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2階には地質関連の展示。↑は羽幌ダム建設中に発見されたアンモナイト

町東部の山中からはよくアンモナイトが出土するようです。

 

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みんな大好き異常巻きアンモナイト

 

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小さいながらも地域の特色を良く伝える、良い博物館でした。

 

苫前町郷土資料館

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羽幌町を発ち、隣の苫前町へ。時間も15時を周りやや駆け足気味。

 

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ただせっかくなので郷土資料館はまた覗いてみる。

こちらの建物は元町役場。昭和3年に建てられたものだそうです。

 

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この町で起きた大事件が「三毛別羆事件」。

館内には羆による民家襲撃の瞬間が再現されていました。だいはくりょく。

 

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昭和55年に仕留められた、体重500kgの巨熊「北海太郎」。

 

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この博物館も館内に民俗関連の展示が所狭しと。

町自体の歴史は江戸初期に「トママイ場所」の名で記録に出てくるのが始まりのようです。江戸時代は松前藩士工藤家の支配となり、江戸中期以降は特権商人の栖原氏が場所経営を請負って、アイヌとの交易や漁場経営を行っていたようです。江戸後期からニシンを追って漁民の進出が進み、ニシン漁最盛期の明治30年代には年間漁獲量が3万石をに達し、漁期には3千人近くの漁夫が村外から入り込み、賑わいを見せていたようです。

 

 

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ニシン漁関連の展示にあった「カスダマキリ」。

ゴールデンカムイのおまけ漫画が思い出されます。

錆びついていても巨大な刃物は威圧感があります。

 

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全長3メートル半に達する巨大な修羅。

幕末~明治頃に製作され、鰊漁船の建材運搬のために使用されていたもので、町の文化財に指定されています。

 

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館の一角にまとめて置かれていた仏教関連の展示。

万延元年(1860)に創建された町内最古のお寺「金宝院」に伝わっていたもので、お寺に後継者がなく廃寺となった際に資料館に寄贈されたものとか。

 

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かつての町長室は町役場時代の雰囲気が残されています。

 

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町章。「トママエ」の文字。

 

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考古・アイヌ関連の展示は、旧町役場の東側に建て増しされた考古資料館にまとまって展示されていました。

 

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巨大なトドに挑む縄文人

 

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屋外には縄文時代・擦文文化の竪穴住居、アイヌのチセが再現されていました。

留萌へ

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苫前の町を出て、本日の宿・留萌を目指す。

道中撮影した靄向こうに見える風力発電の風車群。強い。

 

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海沿いの高台に並ぶ風車群。強い。

 

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小平の鰊番屋は時間切れで入れず。明日とんぼ返りして見ることに決める。

留萌に到着したのは17時30頃。黄金崎にある「留萌海のふるさと館」が日没まで営業しているとのことだったので、この日の最後に周ってみることに。

 

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こちらの建物は1989年に建てられた比較的新しいもの。あまり写真撮っちゃいけない雰囲気だったので写真は雰囲気だけ。

 

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市内で出土した鎌倉時代の鎧兜とか、現地アイヌの首長が着用していた山丹服の再現などはなかなか興味深かったのですが、

 

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昔はレストランがあったであろう謎の空き空間とか、昔は魚が居たであろう謎の空き水槽とかもあって、少なからぬ虚無感もまた感じたのでした。

この記事を書くのにWikipediaの本施設の記事を見てたら存廃問題に1項目が割かれていて、現地で感じた虚無感が一層思い出されました。

 

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かつて江戸末期に烽火台があった場所に建てられただけあり、海の眺めは見事。

 

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振り返るといかにも北国っぽいつくりの公営住宅

 

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日没時間が近づいてきたので、さらに海沿いに近づいて夕焼けを眺める。

 

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どこかで見ている監視の白目。

 

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振り返ると海のふるさと館。

 

 

 

 

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夕陽。

 

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この辺りの海岸は柱状節理がお見事。

 

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鳥。

 

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鳥と夕刻の海。

 

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日没まで居ても良かったのですが、SDカードの容量が微妙になってきたので電気屋さんに寄るために退散。

 

 

ついでに三省堂書店が出している書店を覗いてみたり。

電気屋と書店を覗いた後は、中心市街地にあるビジネスホテルにチェックインして2日目の行程は終了。行動時間はまるっと12時間超でした。

 

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晩飯はホテルのすぐそばにあった「蛇の目寿司」。

写真の全ネタ21貫セットはこれで2,500円。

 

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お隣増毛町の國稀も一杯いただきました。