の続き。
稚内公園を周り終えた時点で既に時刻は16時半。まあ日没時間も遅いことだし、日没前に宗谷岬一帯を見て回るぐらいならできるでしょう…という訳で、一旦市街地を離れて日本最北端の地・宗谷岬へ。
稚内市街地から宗谷岬までは意外と距離があり、車で30分強の道のり。
道中、何度も車を停めて風景を写真に収めたい欲求に駆られ大変でした。
丘向こうに風力発電が見える所で、1度だけ車を停めて撮影。
宗谷岬には17時ごろ到着。
…が、岬の広場で何やらドラマか何かの撮影中で、しばらく一般人は立ち入りできず。そんな訳で、まずは丘の上にある旧海軍望楼から見学。
明治35年(1902)、日露間の緊張の高まりに伴い建設され、日露戦争終結後も無線通信基地として、太平洋戦争中は対潜水艦監視基地として利用されていたとのこと。
裏から見るとこんな感じ。内部と屋上部分は立ち入り不可。
解説板の「船のブリッジを形づくる…」の通り、このアングルで見ると確かに艦橋っぽい。
望楼の中を覗くこともできましたが、空っぽでした。
望楼からの眺め。
望楼から見た宗谷岬。ドラマの撮影も終わった様子。
望楼の横には「平和の碑」が設置されていました。
昭和18年(1943)10月に宗谷岬沖合で撃沈された米潜水艦・ワフー号と、ワフー号の作戦により沈められた日本船の犠牲者を追悼するために、日米合同で建てられたものだそうです。
碑の前にある2本のポールにはそれぞれ日米の国旗を掲げるのかな。
さらにその横には、宗谷海域で亡くなった旧日本海軍戦没者の慰霊碑。
慰霊碑の前にある廃食堂でも何やら撮影が行われていました。
先輩クルーらしき人が後輩と思しき人を怒鳴りつけている光景を目にしてつらい気持ちになりました。
「あけぼの像」。酪農関係の像らしく。
解説文を見ると、この地における苦労に満ちた農業史の一端に触れることができます。
欧州人として初めて宗谷海峡を通過し、海峡の国際名称の由来となったラ・ペルーズ伯爵の顕彰碑。
ここで一旦丘を下りて「日本最北端の地の碑」へ。
最北端。
「N」の字だそうです。
海の向こうにかすかに見える弁天島。
本当の日本最北端(ただし北方領土は除く)。
間宮林蔵像。
「日本最北端の碑」を眺めるような格好で立っていました。
公園内の位置関係はこんな感じ。とにかく石碑が多い。
日本最北端の神社・宗谷岬神社。
社殿の作りは北海道に多い神明造。
神社上空。
神社の辺りから最北端を撮影。人影もまばらになってきました。
海沿い一帯をあらかた見終え、再び丘の上へ。
数ある記念碑・慰霊碑の中でもひときわ大きく聳えていた「祈りの塔」。
昭和58年(1983)に発生した大韓航空機撃墜事件の犠牲者を追悼するもの。
高さは事件発生年に因んで19.83m。
翼の数は犠牲者の母国数と同じ16枚、利用されている御影石の数は犠牲者の数と同じ269枚なのだとか。
碑文からは、遺族の悲しみと怒りと祈りの気持ちが偲ばれます。
「祈りの塔」の近くにあった「世界平和の鐘」。
梵鐘風のデザインにWORLD PEACE BELLの銘文のミスマッチさが良い。
横の花壇にも「世界平和」。
気がつけば記念碑の写真ばかり撮っていました。
市街地のホテルに向かう前に宗谷岬牧場の方を覗いてみようと、少し遠回り。
牧場自体は防疫上入場不可でしたが、
宗谷丘陵、無があった pic.twitter.com/CEFsdkhr1B
— のり (@nori1104) 2017年7月14日
この景色を見ただけでも、寄り道した甲斐がありました。
道の横はこんな感じ。
北方記念館の展示によると「周氷河地形」と呼ばれるもので、明治時代の山火事で森林が焼失し、その後も低音と強風の影響で森林が再生されないのだとか。
遠くにはかすかに風力発電所の群れ。
同じく遠くには放牧されている牛の群れ。
のんびり草を食んでいました。
日本最北端に宗谷丘陵、初日からいきなり最高の景色に出会ってしまいました。
ホテルに向かう途中でセイコーマートに立ち寄り。人生初セイコーマート。
旅の空気に飲まれてるせいかどうか分かりませんが美味かったです。
ただのコンビニ飯ですら特別な気持ちになるのだから北海道ずるい。
ホテルに着いたのは19時前。
休憩もそこそこに、稚内駅そばにある「副港市場」の日帰り温泉でひとっ風呂。
副港市場、お店はほとんど営業時間外でしたが、稚内港駅や樺太に関する展示も内部にあって楽しめました。
温泉の後は海沿いを歩いて
停泊していた漁船を撮ったり
停泊していた漁業取締船を撮ったりしました。
20時を過ぎて、南稚内駅前にある「えぞ番屋」でようやく晩ごはん。
実質およそ半日の活動期間でしたが、充実した1日でした。