の続き。
瀬戸邸の次は、市街地西側の高台にある稚内公園へ。
稚内開基百年記念塔。
1879(明治12)年に宗谷地方に戸長役場が設置されたのを稚内市の開基として、それから100周年を記念して1978(昭和53)年に建造されたものです。
辺りは日本海側から吹き付ける風が滅茶苦茶強く、風に向かって歩くのも一苦労といった感じでした。
1階・2階部分は展示室になっています。
まずは1階部分。
宗谷岬にある間宮林蔵像と作者が一緒なので、同じ型のものでしょうか。
北海道の博物館はこの館が初訪問ですが、続縄文からオホーツク文化・擦文文化、アイヌ文化と、本州と大きく異なる歴史の展開に興味津々。
江戸後期になると、北辺の警備を命じられた諸藩の越冬の苦労を伝える展示も。上の写真は安政年間に日本で初めて製作された西洋式ストーブ「カッヘル」の模型。
寝るときには蓋を閉め、まさに棺のような姿で寒さをしのいだとのこと。
昭和36年を最後に途絶えた「宗谷アイヌ」の文化に関する紹介も。
トッショカウッシリ山、今はなんて名前なんだろ。
2階には近現代の展示。
ここで充実していたのが樺太、特に日露戦争後に旧日本領だった南樺太に関する展示でした。
第二次大戦末期、樺太の戦いの展示。
真岡郵便電信局事件で亡くなった9人の電話交換手たち。
こちらは樺太の日露国境標石のレプリカ。裏面にはロシア帝国の紋章が刻まれています。
日露国境地帯に4箇所設置され、うち2つが現存しユジノサハリンスクと根室にそれぞれ所蔵されているとか。
この他にもパネル展示を中心に、南樺太の歴史や自然・産業などが細かく紹介されていて面白かったです。
定番、木彫りの熊。
展示室出口にデーンと君臨していました。
ついでに塔のてっぺんの展望台にも登ってみましたが、案の定霧でほぼ眺望ゼロ。
内部見学を終え、塔の外へ。
あの塔のちょうど真ん中にある扉が気になる…
こわい
周りの展望はむしろ下の方が良く見えたり。
電波塔群も雰囲気があって良い。
北西には自衛隊のレーダーサイト。良い…
まちの方へ眼をやると、港の北端に北防波堤ドーム。思ってたより長い。
百年記念塔を見終えた後は、公園の北に建てられた「氷雪の門」を見て回る。
辺りに記念碑が色々あったので、まずはそちらを順に見回り。
↑は日本初の南極観測隊に帯同した樺太犬の犬ぞり訓練が、この地で行われたことに関する記念碑。
第1次越冬時に亡くなった樺太犬の供養塔。「タロとジロ」のときのやつですな。
昭和43年に昭和天皇・皇后が稚内を来訪した際に詠んだ歌を刻んだ行幸啓記念碑。
氷雪の門。
公園のいちばん北、宗谷海峡を臨む場所に建てられていました。
戦争だけでなく、樺太の地で亡くなったすべての日本人のための慰霊碑として建てられています。
Wikipediaなんかを見ると外国人の樺太への立ち入りは1989年まで制限されていたとのことで、慰霊碑建立への思いというものが碑文からも伺えます。
「氷雪の門」の横には、真岡郵便電信局事件で亡くなった「九人の乙女の碑」。
東には稚内の市街地。
利尻・礼文行きのフェリーが停泊していました。
この後宗谷岬の方へ向かいましたがそれはまた後日。