春日大社
道沿いに土産物屋や食事処、旅館が立ち並び、賑やかな通りです。
鹿は気ままに寝そべったり、鹿せんべいを持った観光客を襲撃したりしています。
おうそこのおっさん、鹿せんべい持ってんだろ。匂いすんだよ、出せやコラ、といった感じで何匹か寄ってきましたが、持ってないと分かった瞬間そっぽ向かれました。
水谷川を渡り、春日神社の境内に入ります。
参道にはいくつかの末社が祀られていたのでそれらも参拝しつつ。こちらは水谷神社。社殿は春日大社内でも最も古い部類。
一言主神社。一つの事だけを真剣に願えば叶えてくれるそうです。
朱塗りの内侍門が見えてきました。
幣殿。こちらの横から拝観料を払って、本殿の特別参拝へ。
本殿前は撮影禁止なので、中門を遠巻きに撮影。
本殿ではちょうど結婚式が行われていました。
春日大社といえば社殿のあちこちに奉納された燈籠が有名ですが、本殿周りは特に有名な人物が奉納したものが多くありました。右は直江兼続、左は宇喜多秀家奉納の灯籠。
藤堂高虎の奉納燈籠。「大御所様為御祈祷也」の文言がエモい。
こちらは徳川綱吉が館林藩主時代に奉納した灯籠。心なしか装飾も豪華に見えます。
じゃあこっちの燈籠は誰のものなのと奉納者名が気になったり(当然わからない)、それぞれかたちが微妙に違っていたり、近年奉納された真新しい色合いの燈籠が混じっていたりと、燈籠を眺めているだけでもそこそこ楽しい。今奉納しようと思ったら幾らするんだろう。
石灯籠にも立ち並ぶ中にさり気なく島左近が奉納したものがありました。
企業が奉献した神社もいくつか見られました。NTTや関西電力が雷神様(=電気の神様)に奉献していたり、ダイキンが風宮神社(お祓いの神様だそうです)に奉献していたりと、業種に関連してそうな神様に奉献しているのは面白いです。
藤浪之屋という建物(重要文化財)の内部では万燈籠の様子が再現されていました。
本殿参拝後は南門をくぐり、神社の南に点在する末社群を見て回る。
歩きながらどこまであるんだ…という気持ちになったので、この看板を見た時に少しホッとしました。
社殿の方へ戻り、着到殿(国指定重要文化財)の横を通って表参道を下る。
二の鳥居前の春日大社国宝殿を観覧。
展示物の中では、鎌倉時代に造られた流鏑馬の木造(重要美術品)が現代の流鏑馬とほぼ同じような装束で興味深かったです。国宝の赤糸縅大鎧(梅鶯飾)も展示されていて、飾金物の精緻さが見事でした。
人と、鹿と、燈籠がある参道を東へ。
途中、参道をそれて飛火野へ出てみる。
広々とした気持ちいいい広場ですが、誰も寝転がる人がいないのは鹿の落とし物だらけだから。
奈良公園をウロウロしているうちに見かけた東屋。柵で囲われてるし火気厳禁だし、重要そうな建物ですが特に解説は見当たらず。後で調べたところによると、元々春日大社の経庫だった建物を改造した「円窓亭」という建物で、鎌倉時代まで遡るのだとか。
浮見堂と鷺池。向こうに微かに奈良ホテルが見えます。
頭塔
ならまち方面に出てきたので、その存在を知ってから気になっていた「頭塔」を見学。
隣接するホテルのフロントでパンフレットを貰い、ホテル裏の入り口から見学施設の中へ。
石垣で覆われたピラミッドの奇数段に設けられた龕の中に、石仏が1基づつ祀られています。
767年に東大寺の僧実忠が土塔を築いたとの記録があり、この頭塔がそれにあたると言われているようです。石仏のうちの1基は大和郡山市の郡山城の石垣に転用されているとか。
ここから眺めるならまちの眺めもなかなか。向こうの山は生駒山でしょうか。
昔ながらの町の中に残る、不思議な史跡でした。
ならまち(歩くだけ)
頭塔を見た後はならまちを歩きます。
とはいえ時計はすでに4時半を過ぎ、ほとんどのお寺は閉門時間。
元興寺もまた次の機会に。
ならまち歩きは程々にして、道中雑貨屋さんなんかを冷やかしながら、興福寺方面へ。五重塔が視界に入るとそれだけで風情があります。
猿沢池に戻ってきました。
東向商店街入り口横の高札場。三毛猫が寝てました。
ホテルに行く前に晩ごはん。近鉄奈良駅ビル内の立ち飲み屋「蔵元豊祝」でお酒とおつまみをいただく。造り酒屋さん直営のお店です。
ホテルに向かう途中、町家に入居しているローソンを発見。