の続き。
興福寺から東大寺へ
興福寺国宝館を見た後は、東大寺を目指して登大路を東へと歩く。
公園内はいたるところに鹿、鹿、鹿。
人間に対しては「鹿せんべい持ってる奴」と「持ってない奴」の二通りに分類してきている感じで、持った人間に対しては容赦なく鹿せんべいを要求していました。上の写真の三匹も鹿せんべいを持った女の人の後を執拗に付いて回っていて、他にも鹿せんべいを持った人間に対して傍若無人に振る舞う鹿の様子を見て思わず
のり on Twitter: "鹿、鹿せんべいを買った人間には何してもいいと思っていないか"
などと思ったのでした。
一方で鹿せんべいを持ってない人間には目を合わせようとすらしない。
道沿いに建つ奈良県庁。
奈良国立博物館は外観だけ撮影。
東大寺に近づくと道の北側には町家が目立つように。
丸みを帯びた屋根が可愛らしいです。
ここまで切実な鹿飛び出し注意の看板もそうそうないのでは。
東大寺
やってきました東大寺。
東大寺ミュージアムも是非見に行きたかったのですが、あいにく改修工事のため休館中。9月14日までなので10日少々早かった。まぁまた来る機会もあるでしょう…
南大門
気を取り直して、まずは南大門。1199年再建の国宝。圧倒される大きさ。
門内の左右を固める金剛力士立像。展覧会とかにはまず出てこない、ここでしか見られない国宝彫刻です。
個人的には日本の仏像の中でも一、二を争う知名度だと思うのですが、思ってたよりも立ち止まって見たり写真に撮ったりしている人が少ないような…というのがやけに印象に残ってしまいました。手前の金網が迫力を減じてしまっているのか、それとも像自体の巨大さが混雑感を和らげているだけなのか…。
天井を見上げてみる。柱と貫がどこまでも続いていく感じが良い。
六手先まで組まれた組物も見事。
あと北側に置かれていた獅子像も宋の石工が造ったもので国指定重要文化財だったようですが、スルーしていました…(写真なし)。
本坊
南大門を入ってすぐ右手にある本坊。
普段は非公開なのですが、東京藝大の学生による作品展示に合わせて公開されていました。
荒川弘憲<Practice of the View>か<石声>(どちらかは失念)
川合香鈴<照らす>
松原維子<そぞろ在るまま>
竹野優美<幾年も>
小山このか<鏡の中のユートピア>
等々。会場が会場なだけに、祈りとか悠久の時とかをテーマにした作品が多かった気がします。
普段見ることのできない庭園を眺められたのも良かったです。
後から調べてみたら本坊の南側に普段は非公開の本坊経庫(国宝)があったらしいので写真だけでも撮っておけば良かった。
こちらは学生さんの作品ではなくて本坊備え付けの衝立。
本坊はかつて東大寺の最有力院家であった東南院のあった場所で、上皇や天皇の高野山参詣時の御所となったり、源頼朝の宿所や明治天皇の行在所にもなった所だそうです。標柱の「史蹟名勝天然紀念物保存法」の表記が眩しい。
この記事を書いてる途中でWikipedia 見て知ったのですが、戦前は皇室ゆかりの地ということで史蹟指定受けられたんですね。そのうち明治天皇ゆかりの地は1948年5月に軒並み指定解除されたそうですが、ここは東南院旧境内として指定が存続しているようです。
大仏殿
いよいよ大仏殿入り。
中門前を左へと進み、観覧料600円を払って廻廊の内部へ。
大仏殿。でかい。
大仏殿前にある八角灯籠。国宝。大仏開眼の752年頃に造られたもの。細かい浮彫が見事。
中で大仏様とご対面。
教科書なかでは何度も見た仏像。歴史イベントという感じがします(?)。
堂内の何もかもが大きすぎてスケール感がおかしい。
この花瓶にとまる蝶々も一見ぎょっとする大きさでした。
大仏様の脇には蓮弁の実物大模型が展示されていました。こんな細やかな線刻が蓮弁の一つ一つに施されているそうです。
大仏様の脇を固める、(大仏様に比べれば)だいぶ小さな虚空蔵菩薩。いや普通のお寺にあったら十分デカいと感じる大きさなんですが。
屋根裏へと続く階段。確かブラタモリでタモリさんが登らされそうになっていたような…。これは高所恐怖症でなくても登るのを躊躇する怖さ。
大仏様の光背を裏から見上げる。
お堂の裏手に展示されていた、創建当時の大仏殿の模型。
奈良少年刑務所の入所者が制作したものだそうです。
やはりお堂の隅に置かれていた、おそらく実物大の鴟尾と鬼瓦。
とにかく堂内のあらゆるものが巨大で、現実離れしたスケールに圧倒されっぱなしでした。これを8世紀の内に造りあげてしまう(しかも建立当初の大仏殿は今のより30mほど東西に長かった)のかだから、なるほど国家的事業だなぁ、と思ったのでした。
最後にずらりと並ぶ組物を撮影。
戒壇堂、正倉院
続いて、大仏殿の西に位置する戒壇堂へ。
メイン参道を少し離れただけでこんな閑静な風景が広がっているとは。
道端の石碑群。
戒壇堂。754年に来日した鑑真が大仏殿の前庭に仮設したのが始まり。
その後幾度かの焼失を経て、現在の建物は1733年に再建されたもの。
ここも堂内を参拝できる(拝観料600円)ので、拝観料を支払って堂の中へ。
堂内は須弥壇の中心に木造の多宝塔が、四隅には木造四天王立像(国宝)が安置されており、堂内を一周しながら天平時代に造られた四天王立像を鑑賞できるようになっていました。
戒壇堂の後は大仏殿の北にある正倉院へ。内部の公開は行ってなくても、正倉(国宝)の外構だけは公開していると思って向かったのですが、生憎この日は日曜日。宮内庁が管理する正倉院も休みで、入り口は固く閉じられていたのでした。ただ、現地の案内板に、脇道からかすかに正倉を望める場所があるというので、取り敢えず向かってみる。
鉄の柵と木々の隙間から、なんとか辛うじて見えた正倉。
また今度、平日に訪れる機会はあるかな…
二月堂へ
気を取り直して、今度はお寺の東にある二月堂・法華堂等々を目指す。
講堂跡に並ぶ礎石。
大仏殿脇の道を通って、
二月堂方面へと続く猫段を登る。
ここで転ぶと猫になるという言い伝えがあるそうですね。すっ転んどけばよかった。
辛国社
猫段の途中に鎮座する辛国神社。
中世の強訴の際にはここで必ず蜂起の儀が行われたとか。
元は天狗社と呼ばれており、東大寺創建時に良弁僧正が建立を妨害する天狗たちを改心させた言い伝えがあるらしく、所々に天狗をイメージした図案が見られます。
石灯籠に「陸海軍安全祈」とあるのも気になりました。
鐘楼その他
猫段を登り切ると巨大な鐘楼がお出迎え。
梵鐘は752年の鋳造で国宝。鐘楼も13世紀前半の再建で国宝。
とにかく大きくて楽しい(?)。
鐘楼周りには小さなお堂が幾つか。
こちらは俊乗堂。1704年の建立。鎌倉時代に東大寺再建に尽力した重源上人を讃えて建立したもので、中には国宝「重源上人坐像」が安置されています。
もう重要文化財クラスじゃ誰も立ち止まってくれないのでインフレがすごい。 説明板を読んだらしれっと重要文化財と書いてあってビビりました。
この辺りにも鹿は気ままにうろういてました。
このあたりでお昼ごはん。鐘楼奥の「鹿鳴園」で葛そうめんをいただく。
二月堂、法華堂
二月堂へと続く石段を登る。
二月堂と法華堂が並ぶ上院に到着。
こちらは無料で内部を拝観できました。
国宝・二月堂を登る。
現在の建物は1669年に再建されたもの。
舞台からの眺め。
手前の伽藍、その向こうの奈良盆地、そして遠くには生駒の山々。
二月堂の周辺にはいたるところに寄進者の石碑が立ち並んでいましたが、その中でも目を引いたのがこちら。二・二六事件を経験した方からの寄進のようですね…って、寄進額が二千万円…おかしなことになってます。んでよく見ると隣の石碑の方、上村耕作さんの寄進額が1億円…はわわ。他の方のブログ等を見ると上村さんの横には井田完二さんの奥様がやはり2千万円の寄進をした石碑が立てられていたようで、あと上村さんというのは奥様のお父様だそうでして、いやはやなんとも。住んでいる世界が違いすぎますね…
下りは屋根付きの登楼を下る。
美しい建物でございました。
登楼を降りた先には大変風情のある石畳の道が続いていました。
二月堂前に立てられた閼伽井屋。13世紀の再建。
続いて二月堂の隣にある法華堂へ。
天平時代に立てられた本堂(左側)と、鎌倉時代に再建された礼堂(右側)が繋がった不思議な建物。
こちらも600円の拝観料で内部を参観。秘仏の執金剛神像も含め、10体ある堂内の仏像はすべて奈良時代に造られた国宝。光り輝くような形をした光背を持つ不空羂索観音像、唐風の鎧に身を固めた金剛力士像等々、いずれも素晴らしかった。
手向山八幡宮
東大寺伽藍めぐりの最後は手向山八幡宮。大仏造営に向け、749年に宇佐八幡宮から勧請されたのがはじまり。
八幡宮前にある法華堂経庫。
本殿。
境内社の住吉神社の本殿が国指定重要文化財(鎌倉末期の建造)だったそうですが、写真撮り損ねてました。
神社出口にあったお店。ここで意を決して鹿せんべい(一束10枚150円)を購入してみたのですが、お金を払おうとしたその瞬間から鹿3匹(雄1匹、雌2匹)が自分をロックオン状態。あーちょっと待ってちょっと待って、まずは鹿せんべいの写真撮らせて…待って待ってやめて食べないで服食べないで!分かった分かったもうあげるから待ってて、まだテープ切ってないからテープ切らせて!…という感じで、あっという間にひと束を食べられてしまったのでした。怖かった…雄鹿の角が切ってあったのが不幸中の幸いでした。
この後春日大社へと向かったのですがそれはまた次回。