nori1104の日記

旅行とか展覧会の感想とか

秋田旅行2日目② 佐竹氏の菩提寺と秋田県立博物館

長らく放置してしまいましたが、半年前の秋田旅行記の続き。

nori1104.hatenablog.com

 

天徳寺:佐竹氏の菩提寺に残る重文建築

ホテルで朝食の後、角館を出発。

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下道を車で1時間ほど走り、本日の旅行先:秋田市へ到着。まずは佐竹氏の菩提寺:天徳寺にお参り。

元々は常陸太田にあったお寺。寛正3年(1462)、佐竹義人が夫人を弔う為に創建したのが始まりで、その後水戸を経て佐竹氏の転封に伴い秋田楢山に移転。寛永元年(1624)に火災に遭ったのを期に現在地に移転しました。

上の写真に写る総門は寛永元年の火災で焼け残り、寺の移転とともに現在地に移された境内最古の建築物。この総門の他、山門、本堂、書院、佐竹家御霊屋が国の重要文化財に指定されています。

 

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総門をくぐり、宝永6年(1709)建立と伝わる山門を臨む。

お寺の前はけっこう車通りの多い県道に面しているのですが、境内に入ると外の喧騒とは隔絶された静穏な空間が広がっていました。

 

門脇に置かれていた看板に、本堂・書院は保存修理工事のため平成35年まで拝観不可との文字が。あーこれはアレだな、中に入れても建物は覆屋で見れないやつか。まぁそういう巡り合わせなら仕方ないな、などと想いながら参道を歩いていたのですが、

 

 

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 山門をくぐると、覆屋も無く目の前に茅葺き屋根の立派な本堂が。本堂前のスペースが工事区画のため、少々殺風景な中を遠巻きの参拝となりましたが、貞享4(1687)年に1万石を投じて建造された立派な本堂を眺めることができました。

書院と佐竹家霊屋は工事中のため立ち入りできず、次の目的地である秋田県立博物館へ向かいます。

 

秋田県立博物館:「発掘された日本列島展2016」を見る

 

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 かなり本降りとなってきた雨のなか、秋田市の北のはずれにある県立博物館に到着。

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 まずは巡回していた文化庁の発掘速報展「発掘された日本列島2016」を観覧。

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展覧会内部は撮影OKでした。これは新潟県糸魚川市の六反田南遺跡から出土した縄文土器群。

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ひとつひとつの土器の造形が異なっていていつまでも見ていられます。

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奈良市国史跡・中山瓦窯跡から出土した鬼瓦。中山瓦窯跡は平城宮に供給する瓦を生産していたとのこと。

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福島県須賀川市・稲村御所館跡から出土した、呪いの墨書のあるかわらけ。

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伏見城跡出土の金箔瓦。

・・・等々、全国各地から出土した考古資料を堪能しました。

あとこの「発掘された日本列島」展、東日本大震災以降は「復興のための文化力」と題して、震災被災地における復興事業に伴う発掘調査の成果を継続して特集展示してくれています。

今年度の被災地における発掘成果で面白かったのは福島県楢葉町の高橋遺跡で、全国的にも珍しい男性型の土偶が発見されたとのこと。高さ6cmほどのとても小さな男性型土偶が展示紹介されていました。

また今回は、地震や噴火、洪水などの被害や、災害からの復興の様子が分かる遺跡についても、2つ目の特集「復興の歴史を掘る」で紹介されていました。火山灰に埋もれた畑地を復旧する「天地返し」の遺構が見られる横野山王遺跡(神奈川県秦野市)、地震で生じた地割れを瓦礫捨て場に活用した段ノ原B遺跡(福島県相馬市)などの事例が興味深かったです。

 

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秋田県立博物館、常設展示の方は人文展示と自然展示、秋田出身の偉人を顕彰する「秋田の先覚記念室」等があり、全てをじっくり見ようとすると丸一日はかかりそうなボリュームでした。それでいて常設展観覧料は無料という気前の良さ。今回は時間の都合で人文展示のみを一通り観覧。残念ながら一部を除いて撮影禁止だったのであまり写真はありません。これは!と思うような展示については(訪問から半年以上経った)今ではあまり思い浮かばず何とも申し訳ないですが、古墳時代の展示が少なめで代わりに秋田柵・払田柵や前九年・後三年の役等、古代の展示が充実していた(気がする)のは特徴的だった、ような気がします。