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nori1104の日記

旅行とか展覧会の感想とか

秋田旅行2日目① 角館・天寧寺の芦名氏墓所

nori1104.hatenablog.com

↑の続き。

ちょっと早めの時間に起床。

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この日は一日中あいにくの雨。

博物館を中心に予定を立てていたのが幸いでした。

 

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 朝食まで時間があったので、雨でしたが朝の角館の町を少しだけお散歩。

ホテル周辺は田町と呼ばれ、芦名氏の旧臣が多く居住した内町に対し、佐竹本家から芦名氏へ付けられた直臣が多く居住した地域になっています。

伝統的建造物群の指定は受けていませんが、それでも黒塀に囲まれた立派な家が建ち並んでいて、内町にも劣らない風情がありました。

↑の写真は仙北地方の大地主だった太田家の門構え。中の洋館も見事な外観でした。

 

天寧寺:芦名氏の菩提寺

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 朝の散歩の目的地にしたのは、武家屋敷エリアの東の外れにある天寧寺。

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芦名氏の菩提寺として、寛永年間に会津の天寧寺から勧請されたお寺です。

 

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 天寧寺境内に佇む芦名氏の墓地。仙北市指定史跡。

角館を治めた芦名義勝とその子盛泰・盛俊、盛俊の子・千鶴丸、そして義勝・盛俊の妻や盛俊に殉じた家臣2名の祀られています。

 

芦名義勝は義広、あるいは盛重の名前の方が有名でしょうか。佐竹義重の二男として生まれ、天正15年(1587) に会津を領有する芦名家へ養子入りし家督を継承。しかし天正17年(1589)、摺上原の戦い伊達政宗に破れ、生家の常陸へ亡命。秀吉から佐竹氏与力として江戸崎45,000石を与えられますが関ヶ原後に所領没収。慶長7年(1602)に佐竹氏ともども秋田入りし、角館1万6,000石を与えられました。現在に残る武家屋敷の町割りは、義勝の治世下で行われたものです。個人的には政宗に滅ぼされた印象しかなかった義勝でしたが、現在まで残る角館の町並みを作り上げた人物だったとは知りませんでした。

 

角館に安住の地を得た芦名氏ですが、次代盛俊は20歳で夭折、その子千鶴丸に至っては、4歳の時にここ天寧寺の縁側から転落死してしまい、明暦2年(1656)に絶家が確定してしまいます。戦国末期にも芦名氏は盛興(享年29)・盛隆(享年23)・亀王丸(享年3)と当主が相次いで夭折していますが、角館に移ってからも、その流れをほとんど止められなかったのか…と物悲しい気持ちになりました。

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 天寧寺境内に鎮座する青銅製の阿弥陀如来坐像。Wiipediaによると千鶴丸の供養のために作られたもので、千鶴丸が転落死した敷石(沓脱石)が土台石にされているとか。