前回:
北海道上陸3日目(最終日)。
この日は6時30分始動。雨がだいぶ強い。
ホテルのフロントで買ったコーヒーを、車に乗り込む時にぶちまけてしまい幸先が悪い。
最初の目的地は襟裳岬。浦河からは車で約1時間の距離。途中、様似町~えりも町間に通行規制区間(連続雨量100㎜以上で通行止)があったので、帰りにここに規制がかかったらどうしよう…その時は広尾町から国道236号経由で様似まで戻れるかな…いっそ予定全放棄で帯広経由で苫小牧に戻るしかないかな…などと思いながら車を走らせる。時折絶壁が迫る海沿いの道だったものの、沿線の景色を楽しむ余裕はほとんどなかった…
襟裳岬が近くなると風も強くなってきた(路肩に停車して撮影)。
襟裳岬に着きましたが外に出たくありません pic.twitter.com/JqQtb9613c
— のり (@nori1104) 2019年8月22日
襟裳岬の駐車場に到着。外はもう嵐としか言いようのない天気。
この写真(車内より撮影)からも横殴りの雨の激しさが確認できるかと思います。とてもじゃないが岬の突端まで歩いていくのは無理。公衆トイレに行こうと数メートル歩いただけでずぶ濡れに。
公衆トイレ行くために外に出たところ存分に風を感じることができたのでよしとします
— のり (@nori1104) 2019年8月22日
岬を歩くのは断念。名残惜しげに車内から駐車場周辺の風景を数枚ほど。天候の良い日にまた来ましょう…
時折強風に傘を持って行かれそうになる。
ちょうど北緯42度線の上。
駐車場そばにひっそりと建つ一石一字塔。
海難事故の追善供養と航海安全を祈願するために1806年に建立されたもの。
塔の横には小さな観音堂が。雨風から逃げるように中に入った。
地元の観音巡礼の札所のようですね。
近くには展望台もあったけれど、行ける天気でないのでパス。車でもう少し北に足を延ばして、黄金道路南端にある望洋台へ。
開通までに莫大な費用を要し、黄金を敷き詰められる程と言われたのが名前の由来。
ずぶ濡れ覚悟で外に出て、石碑とトンネルを写真におさめる。
絶壁を貫く道。
3年前の北海道旅行で通った雄冬岬を思い出す。
レンズに水滴入っちゃった...
逆にこういう悪天候の中だからこそ一石一字塔を建立した江戸時代の人々の気持ちや黄金道路建設の困難さを肌で感じられるというわけですよ(やけくそ)
— のり (@nori1104) 2019年8月22日
望洋台から退散し、えりも市街地へと戻る。
こんな悪天候下でもコンブ漁師の軽トラックはあちこち走り回っててすごい
— のり (@nori1104) 2019年8月22日
車内で朝食(例によってセイコーマート。
市街地のはずれにある、えりも町郷土資料館を見る。
展示室は水産やコンブ漁などについて展示する「水産の館」と、歴史・民俗を中心に展示する「郷土資料館」の2つに分かれている感じ。まずは水産展示の方を観覧。
1950年代の漁家の再現展示。
えりも地域の水産業、水産を取り巻く環境などの展示が続く。
地域の特産である日高昆布は流石に扱いが大きい。圧巻の標本展示。
日高昆布の値段は採取される浜によって特上浜~並浜までの浜格差が定められており、上浜や特上浜は浦河~様似~えりもの3町村に限られているそうな。
続いて郷土資料館の方を見る。
展示導入イラストの迫力がすごい。
アイヌ関連の展示では町指定文化財の風俗画「蝦夷一覧」を紹介。クジラ漁やらイオマンテやらが書かれていますね
松浦武四郎も19世紀半ばにえりもを訪れていて、襟裳岬の昆布はアイヌの人々は「エリモ様の御髭」と呼んで採取しなかったことなどを記しています。
民俗展示のごちゃごちゃ感が良い。
地域に150年間伝わる「襟裳神楽」。
展示の最後は百人浜の緑化について。元々広葉樹が広がる森林地帯だったのが、明治時代の開拓による森林伐採、さらにイナゴの発生や地域特有の強風などが重なり、一時は「襟裳砂漠」と呼ばれ、舞い上がる赤土が漁業にも悪影響を及ぼしたとのこと。1950年代から緑化事業が始まり、試行錯誤の末に播種の後に雑海藻を這わせる「えりも式緑化方法」が考案され、半世紀かけて現在の環境に戻していったようです。
1時間ほどの滞在で郷土資料館を出発。
港にある漁業組合の直売所で、実家への土産に日高昆布を購入。
直売所前にある公園には、昭和3年に建造された二代目の「幌泉灯台」が保存されていた。
元々この場所に標高17mの山があり、その頂上にこの灯台が設置されていたのを、昭和53年に新しい灯台が別の山に設置されたのを機に国から町に譲り受けてもらい、山を削平して移築したとのこと。
実物の灯台をそのままモニュメントとして遺しているわけですな。
港を発ち、隣の様似町へ。規制区間も通行止めにはならず一安心。
港にある様似郷土館を訪れてみたものの、閉館している様子だったのでパス。郷土館の先にあるエンルム岬へ行ってみる。
太平洋に突き出た陸繋島で、頂上まで登れるようになってはいたものの、引き続き強風が凄く(とうとう傘がぶっ壊れた)、登るのは断念。本当にこの日の旅程はなかなか思うようにいかなった…
駐車場からの眺めもなかなかでしたが。
アポイ岳を望む。
階段手前には昭和40年に遭難した漁船の殉難碑。
資料館の辺りには江戸時代に会所跡があった様子。
続いて等澍院を参拝。
創建は文化3年(1806)。蝦夷地統治・アイヌ教化を目的に江戸幕府によって建立された「蝦夷三官寺」の一つ。幕府滅亡とともに衰退し、明治18年(1885)には一旦廃寺となるも、明治30(1897)に再興し現在に至る。朝に見た「一石一字塔」の建立にもここの住職が関わっています。
(ちょっと分かりづらいけれど)本堂の入り口には葵の紋。
護摩堂。文化8年(1811)に建立されたものが移築修繕されて現在に残る。
護摩堂に手を合わせていたらお寺の方が出てきて、良かったら本堂の中も見て行ってくださいと仰ってくれたので拝観させていただく。鎌倉時代のものと伝わる観音像などが安置されていました。
等澍院に隣接する様似の住吉神社。
続いて等澍院の西にある「観音山」に上る。明治28(1895)に等澍院の住職が観音像を安置したことに由来するとか。舗装された細い道を車で上がり、展望台の横に駐車して展望台へ。
確かに道の脇にも仏像が安置されてる。
エンルム岬はじめ様似の町並みが一望できたけれど...山入り口にあった「熊出没注意」の看板にビビり散らしていたので、展望台の滞在時間は1分そこそこで退散。次の目的地・浦河へと向かう。