2018年9月 奈良旅行その⑥ レンタサイクルで薬師寺・唐招提寺を巡る
の続き。
天理駅から近鉄天理線、近鉄橿原線を乗り継いで西ノ京駅へ。西ノ京駅前で奈良交通のレンタサイクルを借りる。
薬師寺
まずは薬師寺へ。駅前、やけに殺風景なプレハブがあるなと思いきや、薬師寺の伽藍復興工事に関わるやつでした。
13時。駐輪場に自転車を停めて、北の與楽門から白鳳伽藍へ入る。
伽藍図。
正面は南側なので裏から入る感じの参拝になります。最初に目にするのは食堂(じきどう)。食堂の脇に伸びる東僧坊の中を通ります。
東僧坊を抜けると、再建された白鳳伽藍が目の前に広がります。
薬師寺の創建は天武天皇の頃、皇后(のちの持統天皇)の病気回復を祈念するために680年に発願され、698年頃にほぼ完成。その後平城京遷都とともに現在地に移転。その後、天禄4年(973)の大火(金堂・東西両塔以外焼失)、享禄元年(1528)の兵火などを経て、奈良時代から残る建物は東塔のみとなってしまいました。20世紀半ばまでは江戸後期に仮再建された金堂・講堂が使用されていましたが、昭和42年(1967)に白鳳伽藍の復興が発願され、昭和51年(1976)に金堂、昭和56年(1981)に西塔、平成15年(2003)に大講堂などが次々と再建され、現在に至っています。
解体修理中の東塔の覆屋だけが少し興醒めですが、それ以外は伽藍の他に視界に入る建物もなく、なかなかのタイムスリップ感。
梵鐘。すぐ近くまで寄って見れますが撞くことはできません。朝夕5時にだけに撞かれて時を知らせます。
金堂を北から。
回廊を南へ。
善男善女でないのでこのトイレ使って良いものか一時迷った
国宝・東院堂。弘安八年(1285)の再建。
中に上がっての参拝が可能です。他の建物は基本的に中も土間なので靴を履いたまま立ち入れますが、ここでは床張りなので靴を脱いでの参拝。再建時の鎌倉時代の様式によるもの。
堂内では御本尊の聖観世音菩薩立蔵(国宝)と四天王立像(重文)が拝観可能。白鳳時代の聖観音にしばらく見とれていました。
一旦南門から外に出て、休ヶ岡八幡宮へ。
社殿は重要文化財。慶長8年(1603)に豊臣秀頼によって新造されたもの。
お寺のすぐ南にある孫太郎稲荷神社。
薬師寺前を流れる川(乾川?)を橋の上から。
なんでもない小川にも風情が感じられます。
中門をくぐり、真正面に金堂を臨む。
金堂と西塔を1枚に収める。どちらも裳階を付けた豪華な外観がお見事。
西塔を真正面から。
対する国宝東塔は目下解体修理中。
覆屋前には修理前の東塔の状態や伽藍復興に関するパネルが展示されていました。
2020年落慶予定とのことなので、その後に見に行きたいものです。
改めて金堂にお参り。
堂内には薬師如来と日光・月光菩薩が祀られています。日光・月光菩薩は10年程前に東博の薬師寺展で観たことがあり、久々の再開。白鳳仏の美しさにうっとり。
次いで平成15年に再建された講堂。
食堂も改めて正面側から。
白鳳伽藍をあらかた観終えて、再び東僧坊の中へ。売店で薬師寺の公式パンフレットを購入。僧坊内には薬師如来台座の模型や東塔から発見された古代釘(国宝なんですね)が展示されていました。
與楽門を出て、白鳳伽藍の北側に広がる玄奘三蔵院伽藍へ。
唐招提寺
薬師寺の参拝を終え、唐招提寺を目指して自転車を北へ漕ぎ出す。
沿道の町並みがまた良かった…
数分で唐招提寺に到着。
境内の伽藍配置。
金堂。天平の甍。
日本史やら国語の図説で何度も見かけた写真と同じ風景が眼の前にあって少し感動しました。訪問時は平日ということもあってか観光客の数も疎らで、静謐な雰囲気をほぼ独り占め状態。
堂内(撮影禁止)には盧遮那仏、千手観音、薬師如来の三尊が鎮座。取り分け光背に大量の小さな仏様を付けた盧遮那仏坐像と本当に千本(正確には911本とか)を付けた千手観音立像はインパクト大でした。そういえば盧遮那仏の方は学生時代に東博で観た唐招提寺展で頭部だけ来ていた記憶が。
続いて金堂の北にある講堂。元は平城宮の東朝集殿を移築したもの。平城宮の遺構としては唯一の現存物件。
鼓楼。鎌倉時代建造の国宝。
現在は鑑真が将来した仏舎利が、金亀舎利塔(国宝)に納められています。
鼓楼のすぐ横にある礼堂(らいどう)。鎌倉時代建造の国指定重要文化財。鼓楼に納められた仏舎利を礼拝するための施設とか。
お堂の中間に通路(馬道)が開かれています。
礼堂の東側に配置された2つの校倉。左側が宝蔵で右側が経蔵。どちらも奈良時代建造の国宝。特に経蔵は、この地に唐招提寺が創建される以前、新田部親王邸だった頃にすでに米倉として利用されていたと言われています。
この後、宝蔵の裏手にある収蔵展示施設「新宝蔵」を観覧。
内部は丈六の大日如来像(平安時代・国重文)を中心に木彫や工芸品等が二十点ほど展示されていました。 中でもとりわけ眼を惹いたのはやはり「唐招提寺のトルソー」と呼ばれる如来形立像。修復工事で金堂から降ろされた奈良時代の鴟尾(まさしく「天平の甍」)も間近で見ることができました。
新宝蔵の後は鑑真和上御廟へ。御廟の前には苔むした空間。
御廟。
御影堂(国重文)は工事中だったので横からチラリと見えたのみ。
御影堂前にお社(訶梨帝母社)もいつのものかは知りませんが雰囲気がありました。
境内の片隅にあった住房。誰かいらっしゃるんですかね。
戒壇。当初のものは中世に廃され、現在あるものはその後再興されたもの。かつては建物に覆われていたようです。てっぺんにあるストゥーパは昭和53年(1978)に追加されたもの。
戒壇をめぐり終えると金堂・講堂前に戻ってきます。
梵鐘は平安時代に作られた国重文。「奈良県の歴史散歩」によると後世に追加された刻銘に後刻があるとか。
境内をめぐり終えた頃には金堂前も若干賑やかに(中国からのお客さんも結構いらっしゃいました)。奈良平安期の建物がほぼ残る境内、素晴らしかった。
駐車場に戻った頃には午後三時。旅も佳境めいてきた。