秋田旅行3日目① 男鹿半島周回:寒風山と赤神神社五社堂
の続き。
この日の旅先は男鹿半島。
朝食。食べ過ぎ。
泊まったホテルの外観。
寒風山
この日最初の目的地は半島付け根にある寒風山。
少し山道を登ると、芝草に覆われた開放的な空間が。
主峰の南側のピークにある小展望台に登ってみる。
石畳の遊歩道も相まって(海外行った事ないのでよく分かりませんが)どことなく異国っぽい。
小展望台から寒風山方面を臨む。
男鹿市街地方面。奥に見える石油タンクは秋田国家石油備蓄基地のもののようです。凄みのある名前ですね>国家石油備蓄基地
寒風山の中腹にはなにやら石碑のようなものが見えます。
記念撮影するんじゃない。
続いて山頂にある展望台へ。今でも現役の回転展望台。
寒風山回転展望台。うごいてる pic.twitter.com/4TxpRnp2iE
— のり (@nori1104) 2016年10月9日
展望台内部はちょっとした資料館になっていました。
↑は男鹿沿岸で長らく利用されてきた丸木舟。
色々な感情が込められていそうなプレート
火口跡。なだらかな山容のなかで急峻さがひと際眼につきます。
こちらの浅い窪みも火口跡。
世界三景のひとつだそうです。言ったもん勝ちですね
昨日泊まった八郎潟方面。調整池の直線的な湖岸線が眼を惹きます。
山頂には何故か「五箇条の御誓文」を刻んだ石柱が建てられています。
昭和5年に山頂に築かれ、同39年に現在地に移設されたとのこと。
月並みですがここまでの輸送方法が気になります。
赤神神社五社堂へ
寒風山を下り、次の目的地:赤神神社五社堂へ。
しかし海岸沿いを走っていると所々海の様子が気になってしまい、時折車を停めて海を眺めていました。
日本海。西風が強くて波が横に流れている pic.twitter.com/F1vNJpF3AV
— のり (@nori1104) 2016年10月9日
眼の前と沖合とで波の進む方向が違っていて不思議な光景でした。
道すがら下手な写真を何枚か撮っているうちに神社入口に到着。
男鹿半島に住まう鬼たちが、一晩で999段積み上げたという石段を登る。
ひょっこり鬼ならぬ熊に出くわさないかとビクビクしながらの登りでした。
(男鹿半島には熊はいないとのことでしたが)
石段を登ること10分。五社堂に到着。
人里離れた山中に五つの社殿が並ぶ。
元は貞観2(860)年開創と伝わる「日積寺永禅院」というお寺だったものが、明治3年に神仏分離令によって神社に改められたもの。現在の五社堂は宝永4年(1707)~同7年(1710)に秋田藩主:佐竹義格の命により改築されたもので、国の重要文化財に指定されています。
向かって右側から順に、三の宮堂、客人(まろうど)権現堂、赤神権現堂、八王子堂、十禅師堂となっています。
土塁を登り、一社づつ参拝。
先述の石段を築いた鬼の伝説は「ナマハゲ」の由来の一つとされており、以下のような伝説が残されているとのこと。
…漢の武帝が不老不死の薬草を求め、5匹のコウモリを従えて男鹿半島を訪れた。5匹のコウモリは鬼の姿に変身し武帝の為に働いたが、正月15日に一日だけ休みを貰い、村里に下りて乱暴狼藉を働いていた。耐えかねた村人が武帝に対し「鬼が五社堂まで1,000段の石段を築くことができたら、毎年一人づつ娘を差し出す。もしできなかったら、二度と鬼たちを村に降ろさないで欲しい」と持ちかけた。鬼たちは一晩で999段まで石段を積み上げたものの、村のアマノジャクが鶏の声真似をして夜明けを偽り、石段完成を阻止。騙された鬼たちは、怒りに任せて近くの千年杉を引き抜き、逆さまに地面に突き刺して山へ帰り、二度と村には下りてこなかった…
不老不死の妙薬を求めた中国の皇帝といえばまず始皇帝が思い出されますが、この伝説だと漢の武帝なんですね。
上の写真の杉の木が伝説に現れる「逆さ杉」なのかな、と思いましたが、現地の説明板に「何時の頃よりか枯れ朽ちて今は古株だけが現存している」とあったのでどうも違うっぽいです。
五社堂に着いたときは晴れ空だったのですが、いつの間にか雲行きが怪しくなり終いには雨が降り出し、しばらく手水舎で雨宿りする羽目に。そんな経験も含めて神秘的な空間でした。