nori1104の日記

旅行とか展覧会の感想とか

秋田旅行1日目① 角館武家屋敷を自転車で回る

10月の連休中、車を使って秋田県を3泊4日で旅行してきました。

1日目は角館、2日目は秋田市の県立博物館と久保田城周辺、3日目に男鹿半島を周回して、4日目に秋田城周辺と由利地方を見て帰宅という行程。

今回は1日目の角館武家屋敷周辺を見て回ったことについて。

 

早朝に地元(いわき)を出発して、常磐自動車道仙台東部道路仙台北部道路東北道→秋田道とひたすら北上。

常磐道のいわき中央以北(暫定2車線)が意外に交通量の多いことを実感したり、仙台東部道路で通勤ラッシュの渋滞に巻き込まれたりしながら、最初の目的地である大曲の胡四王神社へ。

 

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常磐道南相馬鹿島SAにて。ベンチに野馬追のシルエットが透かし彫り。

 

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同じく南相馬鹿島SAにて。SA内に鎮座する稲荷神社。

 

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秋田道:長者原SAにて。SA敷地の大半を占める栗園が熊に侵略されていた。

 

古四王神社(大曲市)

秋田県に入り、最初に立ち寄ったのが大曲インター近くに鎮座する古四王(こしおう)神社。

 

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その名称から、古代に「越(こし)の国」と呼ばれた北陸地方から移住してきた集団が、その祖神を祀ったのが始まりと伝えられているとのこと。

 

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本殿は元亀元(1570)年、戸沢氏の被官:富樫左衛門太郎勝家が奉行となり造営したと伝えられており、国の重要文化財に指定されています。

 

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現地の解説板。「手法磊落放縦端倪すべからず実に奇中の奇珍中の珍なり(伊東忠太)」「建築様式に全くこだわらず、和、唐、天を超越した添加一品の建物(天沼俊一)」と、建築史家が力強いコトダマで建築を賞賛しています。

 

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確かに組物の造形は見事で見ていて惚れ惚れします。ちなみに解説板にも記載されていますが、本殿の造営に携わったのは飛騨の大工:甚兵衛とされ、建物全体で釘は1本も使われていないとのこと。

 

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境内はよく刈り払われていて明るく、歩いていて気持ちのいい神社でした。

 

角館武家屋敷

古四王神社近くにある払田柵跡(アンド秋田県埋蔵文化財センター)に寄りたい気持ちもありましたが時間的に断念。本日のメイン&宿泊地である角館武家屋敷へ直行。

桧木内川沿いの駐車場に車を停めて、車に積んでいた折りたたみ自転車で武家屋敷周辺を巡回することに。

 

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重要伝統的建造物群保存地区内町地区

信長の野望」が教科書代わりだった身としては角館=戸沢氏というイメージが強かったのですが、現在に残る町割りは戸沢氏転封後、佐竹氏の元で角館を統治した芦名氏の時代に整えられたものとのこと。

戸沢氏時代の城下町は、武家屋敷北にある古城山(角館城跡)のさらに北側に広がっていたそうです。

花も紅葉もシーズン外、それでも自転車を走らせていてとても気持ちの良い空間でした。

 

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公民館ですらこんな門構えなのだからズルい。

とはいえ何の努力も払わずに現在の町並みが昔から維持されていた訳ではなく、電柱の撤去や民家外観の修景、通りに面していたプレハブ小屋の改築など、昭和51年に伝建地区の指定を受けて以来、継続的に町並み形成・維持の取り組みが行われてきたようです。

 

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 まず昼飯ということで稲庭うどん。帰ってから職場で「いなばうどん」と言い間違えて大恥かきました。って言うか「いなばうどん」だとずっと思ってた。「いなにわ」だったとは…

 

角館町平福記念美術館

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 腹ごしらえを終えて、最初に立ち寄ったのが平福記念美術館。角館出身の日本画家:平福穂庵・百穂父子をはじめとした郷土画家を顕彰する美術館です。

建物の造りは何故か北欧風。

平福穂庵(1844~1890)と百穂(1877~1943)、個人的には6年ほど前に福島県立博物館の展覧会で見て以来気になっていた画家で、今回の秋田旅行でもこの平福記念美術館は必ず行こうと思っていた場所の一つでした。

企画展開催中なこともあってか、平福父子の展示は十数点と少なめでしたが、百穂による屏風絵「孔雀」をはじめ、古典的な要素と自然主義的な要素を併せ持つ動植物の絵画は素晴らしかったです*1

企画展の方は、角館出身で秋田県内で活動しているイラストレーターの佐藤待子さんの作品展。初めて聞く画家さんでしたが、地域誌の表紙や公共交通機関のポスターなども手掛けていて、地域文化の一端が垣間見えて興味深かったです。

 

石黒家住宅

 美術館を出た後は武家屋敷巡り。

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まずは石黒家。角館に現存する武家屋敷の中でも最も古く、文化6(1809)年以前まで遡る建築。

石黒家は越中国にルーツを持ち、芦名氏断絶後に角館を統治した佐竹北家の下で代々勘定役を務めた上級武士。この家に移ったのは嘉永年間とのこと。

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今でも石黒家の方が居住していますが、座敷の一部に上がって内部を見学することができます。

 

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灯りに照らされる欄間の透かし彫り。蠟燭の時代はもう少し見え方が違っていたようですが。

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 文蔵の入り口。なかなか凝った装飾。

 

柳家住宅

 

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石黒家のすぐ南にある お屋敷。青柳家会津にルーツを持つ芦名氏の旧臣の出。明治以降も地主として経済的に町をリードする存在だったらしく、武家屋敷の中でも広大な敷地と豪華なお屋敷を有しています。

 

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蔵の中には武具類がズラリ。

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この青柳家、「角館歴史村」という別名を持っていて、広大な敷地内に点在する建物で家に伝わる様々な文物を展示しています。上記の武具類や武家の道具などの展示はまだ分かるのですが、この「戦史の部屋・音の保存室」では何故か旧日本軍関係の軍服やレコード類、別の棟ではアンティークもののカメラ・蓄音機などが展示されている等、全体的にはごちゃ混ぜ感が。明治以降も地主として栄えていた家なので、近代の物品がある事自体は別におかしくないですが…所々に民芸品の物販コーナーも点在していて、どことなくB級感の漂う空間が形成されていました。

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 順路終盤に設置されていた撮影スポット。サムライとは…

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表の薬医門は万延元(1860)年の棟札が残されているとのこと。この落ち着いた外観と内部とのギャップは面白かったです。

佐竹歴史文化博物館

  今回の秋田旅行の計画を立てる際、一般の旅行ガイド(まっぷる)と併せて利用したのが、地元の郷土史家の手で編集された「秋田県の歴史散歩山川出版社刊)」でした。しかしてこの「佐竹歴史文化博物館」、佐竹氏とりわけ角館を治めた佐竹北家に関する歴史資料を紹介した博物館のように思えますが、まっぷるは愚か「秋田県の歴史散歩」にすら記述無し。果たしてどうした訳か…と思いながら入館した結果、記載の無い理由が分かりました。
 この館、地図には「佐竹歴史文化博物館」とあるものの、パンフレットには小さく「佐竹工芸美術展示館」「金銀銅杢目金美術館」「林美光美術館」の文字が。実はここの正体、林美光という秋田の工芸家の方による私設美術館。解説によると、秋田藩ではかつて、金・銀・銅の板を幾重にも重ね合わせ、杢目模様を作り上げる工芸技術(ダマスカス鋼みたいなもんですかね)が伝えられており、口伝のみの継承だった為にいつしか失われてしまったその技術を、林氏が試行錯誤を重ね現代によみがえらせることに成功したのだとのこと。
 1階部分には江戸時代より伝わるらしい武具・甲冑や工芸品が展示されているものの特に解説はなし。林氏による金銀銅木目金の工芸品の展示もあり、曜変天目にも似た光輝く文様は確かに不思議で綺麗だったけど、佐竹氏の歴史文化に触れたかった身としては…はい。
 2階に昇るとこちらは林氏による現代美術作品の展示。
 まあこんな感じで、「秋田県の歴史散歩」でその存在が全く無視されているのもさもありなんという感じの施設でした。

 

角館武家屋敷歴史民俗資料館

 こちらも「秋田県の歴史散歩」未収録。外観は年季の入った蔵造り、入場料300円を無人カウンターの集金箱に入れて入館。中には佐竹家氏ゆかりと思われる武具や奥道具、古文書類などが所狭しと陳列されていました。個人的に印象的だったのは、館跡から出土したのであろう門扉等の金具類がケース内に半ば無造作にゴロゴロと置いてあった事。昔、磐城平城本丸跡地にあった「龍ヶ城美術館」を思い出しました。

ちなみにと言ってはなんですが、現地で角館武家屋敷の歴史を知りたい時には、石黒家や後述の樺細工資料館で販売している仙北市教委発行の図録(500円)を買うのが一番良い気がします。

 

岩橋家・河原田家・小田野家

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 青柳家と同じく芦名氏旧臣の岩橋家住宅。

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 同じく芦名旧臣で、近代以降は電気・水道事業を展開した河原田家。

小田野家は小田野直武を出した系統の分家筋の建物が保存されていました(写真撮り損ねてた)。

 

安藤家醸造

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 武家屋敷の南側に広がる町人街・外町に自転車を走らせて、安藤醸造の煉瓦蔵を見る。

明治24(1891)年竣工で東北最古の蔵座敷。

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1階・2階境界部分の化粧積み。

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内部はお座敷になっていてこちらもお見事。現在も家の婚礼の際には利用されているようです。

 この安藤家、現在も味噌・漬物・醤油の製造で営業を続けており、中の休憩スペースでお漬物の試食もできます。

角館樺細工資料館

最後に武家屋敷に戻り、戸沢氏が拠った古城山に登ろうと思いましたが時間的に断念。

代わりに閉館間際の角館樺細工資料館に入ってみる。

 樺細工は桜の樹皮を使った木工工芸で、18世紀末ごろから角館の下級武士の副業として製造していたもの。明治以降、秩禄処分で収入のなくなった武士が本業とするようになり、勧業博覧会への精力的な出展を行って販路を拡大していったとのこと。

企画展は角館に伝わる「白岩焼」の展示。明和8(1771)年に相馬の瀬戸師:松本運七によって伝えられ、藩主への献上品や生活雑器などが盛んに作られたものの、明治以降は衰退。明治29(1896)年の大地震ですべての登窯が潰れてしまい断絶したものの、昭和50年に陶芸家の末裔が復興し現在に至る…とのこと。海鼠釉の青色が綺麗でした。それにしても町割りのルーツが嘗て会津を治めていた芦名氏だったり、相馬から焼き物が伝来していたりと、意外に福島との縁がありますね角館。

 

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 この日の宿泊は角館の田町武家屋敷ホテル。自分には身に余るお洒落なホテルでした。

一人旅なのに部屋がツインだったので本当に持て余しました。

*1:語彙力が無いのでWikipediaの表現をパクった