nori1104の日記

旅行とか展覧会の感想とか

秋田旅行4日目 秋田城跡、岩城亀田、象潟

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の続き。いよいよ(ようやく)最終日です。

 

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ホテルからの眺め。

日吉八幡神社

8時ごろにホテルを出発。最初に向かったのは県庁・市役所にほど近い場所に位置する日吉(ひえ)八幡神社

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駐車場の場所がちょっと分かりにくかった。

創建はWikipediaだと平安とも鎌倉とも言われ不明とのこと。『秋田県の歴史散歩』だと元亨2年(1322)創建との記載がありますがはてさて。とにかくその頃に近江の日枝山王と京都の岩清水八幡宮を勧請したが始まり。その後幾度かの移転を経て、寛永19年(1642)に雄物川の氾濫でそれまでの社地が流されたことから、寛文2年(1662)現在地に遷宮され現在に至ります。江戸時代には外町(町人町)の鎮守として崇敬を集め、「八橋の山王」の通称で親しまれているようです。

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東西に伸びる参道を西に進むと社殿が見えてきます。
建築物の多くは明和年間(1764~1771)の大火で被災し、それ以降に再建されたものです。

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拝殿。安永7年(1778)に完成したもので、県指定。

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2つの神社から勧請したからか、神額も2つ。
真ん中の奉納額は六歌仙ですかね。

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本殿は寛政9年(1797)の建築。こちらも県指定。

堂々とした造りの三間社です。

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そして三重の塔。これも県指定。
宝永4年(1707)に建築され、嘉永7年(1854)改築。
秋田県唯一の三重塔とのこと。

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拝殿前に聳えていたこの青銅製鳥居と石橋も県指定だったようですが、詳しいことは分からず。

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神社の北側にあった随神門。やっぱり県指定。
元は将軍家の位牌を祀った寿量院というお寺の山門で、明治3年(1870)にこちらに移されたとのこと。
Wikipediaの記事によると、建物配置が東側からだと神式、この北側から見ると仏式のものになっているとかなんとか。

ともあれ、街中に残る近世の神社建築を堪能しました。

秋田城跡

次いで訪れたのは国指定史跡:秋田城跡

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 最も北に位置する城柵官衙遺跡として、国の史跡に指定されています。
史跡指定範囲は上の案内図の薄い緑色部分、実に90haに及びます。

 

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史跡公園の東側に再現された外郭の築地と東門。

実際には写真の両脇すぐ先で築地は途切れているのですが、こうしてトリミングするとなかなか雰囲気があります。

 

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東門の外に広がる鵜ノ木地区。
多数の掘立式建物や井戸・沼の跡が数多く発見されており、かつての寺院跡と推定されているとのこと。遺構の出土状況が示されています。

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井戸跡。
昭和53年にここから天平時代の木簡が発見され、遺跡が古代の秋田城跡であることが完全に裏付けられたのだそう。

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様々な儀式を行う場と思われる沼(復元)。

 

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鵜ノ木地区の一角で発見された古代の水洗式トイレ跡。
建物や内部の様子が再現されています。

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中はこんな感じ。

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別の区画では中の様子が分かるようになっています。

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建物の裏はこんな感じ。なかなか良くできてます。

ちょっとばっちい話かもですが、排出部分に堆積した土の成分分析という調査もされており、そこからトイレ利用者の食習慣、更には利用者の属性などを割り出す試みもされているようです。
当時の日本人に豚食の習慣が無いにもかかわらず、豚を常食する人を中間宿主とする有鉤条虫卵が検出されたことから、大陸からの渡来者が利用していた可能性が高く、故に秋田城が大陸からの来訪者をもてなす迎賓館・外交拠点としての役割も担っていたと考えられる…という事までが判明しているらしく、なかなか興味深いです。

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来た道を引き返して、今度は西側にある政庁跡へ。

政庁前には幅12mの立派な東大路が復元されています。

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復元された政庁周りの内郭。

築地塀の足元が傷んでるように見えますが、これはこれで雰囲気が出てる気も。

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政庁内部は建物の復元は無く、遺構の位置が示される程度になっています。

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その代わり、政庁入口そばに復元予想がミニチュアで展示されています。

時期によって建物の配置や戸数が異なったり、外壁が築地から板塀に変わっていたりしていた様子。

秋田城跡歴史資料館

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政庁跡のすぐ近くに建てられた「秋田城跡歴史資料館」。

2016年4月に開館した新しい資料館です。

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館内の秋田城ジオラマ

 秋田城の歴史、史跡からの出土遺物、そこから明らかになった秋田城の役割や当時の社会風俗等、わかりやすく紹介されていました。

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鵜ノ木地区「天平の井戸」の復元。ここから出土した木簡の年代が「続日本紀」で秋田城の記述のある年代とほぼ一致したそうで。古文書の記述と発掘された遺物との一致。その瞬間に立ち会った研究者の快感というか喜びというか、果たして如何ばかりか…と思わされます。

外交・交易拠点としての秋田城の解説も興味深く、渤海国との交流では外交関係から朝鮮半島経由ルートが使えず、樺太・北海道を経由する北回り航路や日本海横断が使われていたので、秋田城が最北の役所として渤海使節の対応を行ったことが多かったとのこと。水洗トイレ遺構の使用者に繋がる話ですね。

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廃棄文書を漆壺の蓋に再利用した結果、腐敗することなく残った漆紙文書(複製)。赤外線カメラを当てると文書が読み取れます。

この赤外線カメラで漆紙文書や出土木簡の解読を体験できるコーナーがあったのが面白かったです。昔の衣服や甲冑を体験できる博物館は数あれど、赤外線カメラで古文書解読が体験できる施設はそうそう無いですね。

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ついでなので、秋田城跡の一角にあった秋田県護国神社にもお参り。

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明治2年(1869)に戊辰戦争で亡くなった官軍戦没者を祀ったのが始まり。そういえば秋田藩奥羽越列藩同盟から造反したんだっけ。

戦後の一時期に軍国主義施設との批判を免れるために伊弉諾尊伊弉冉尊を合祀して主祭神としていた時期もあったらしく、現在も戦没者と一緒にその2柱が祀られています。あと平成2年には過激派により時限爆弾を仕掛けられて社殿全焼の憂き目にあったこともあるそうで、凄い経歴ですね。

油田!

護国神社にお参り後、秋田城跡にほど近いショッピングセンターに車を停めます。

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油田!!!!!!!!

 

ショッピングセンター入口、川沿いに整備された小さな公園に、唐突にそれは鎮座していました。

日本国内で操業を続ける数少ない油田・八橋(やばせ)油田です。

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写真のポンピングユニット(その形状から『馬のつら』という俗称が付いていたとか)は寄贈されたものらしく、現在は稼働していません。カラフルな塗装が施されていますが、製造年は50年以上前と、意外と年季物です。

 八橋油田自体は明治40年(1907)頃から試掘が行われ、昭和10年(1935)に日本鉱業により本格的な採掘を開始。全盛期の昭和30年代には年間30万klを算出し、このあたり一帯に採掘用の櫓が林立していたとのこと。今では全盛期の1割以下の産油量しかないようですが、wikipediaの該当ページには1952年ごろの油田の写真が掲載されており、往時の光景を偲ぶことができます。藤田嗣治「秋田の行事」にも左端に櫓らしき塔が描かれており、かつては秋田を象徴するものの一つだったのかなあ、と思います。

 

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油田の横を流れる川は「草生津(くそうず)川」という名前で、石油の古い呼び名である「臭水(くそうず)」に由来しており、古くから石油が湧き出る地域だったことが伺えます。

 

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近くの空き地には稼働中のポンピングユニットがあり、ゆっくりと首を上げ下げしていました。

日本的な住宅街の中に突如として現れる油井、なかなかインパクトがある光景でした。

 

由利本荘(岩城)へ

市街地の油田で石油王への夢に嘗ての産油地帯に思いを馳せた後は、市街地を離れ日本海沿いに南下。

いよいよ旅も終盤です。

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ひらがなのいわき市から漢字の旧岩城町へ。

かつて福島の磐城地方を支配していた岩城氏が、関ヶ原の戦後処理で改易された後、亀田藩2万石の領主として返り咲きを果たし、幕末までこの地を支配していました。かつての領主の名前にちなんだ地名です。

いわき市と旧岩城町とは、姉妹都市ならぬ「親子都市」の協定を結んでおり、現在の由利本荘市ともその関係が続いています。

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道の駅岩城にあった風量発電機。

この他にも海沿いに風力発電所が幾つか点在していて、巨大な風車が立ち並ぶ様はなかなか壮観でした。

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 日本海の風の強さを示す斜めの木々(この日は風もない陽気でしたが)。

これも日本海沿いを象徴する光景と言えなくはない気がします。

天鷺村

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 かつての亀田藩庁が置かれていた亀田地区へ。

歴史を題材としたテーマパーク:天鷺村が営業していたので、入場。

天守閣風の建物もあり、うっかりここが亀田城跡かと思ってしまいますが、実際の城跡は少し離れた所にあります。そこには亀田城を模した建物の美術館があったようですが、今回はパス。

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なんだこいつらは

 

真田信繁の娘・御田の方(顕性院)が亀田藩主2代:岩城宣隆の側室となり、3代藩主重隆を産んだということで、真田ゆかりの地としてのアピールがされていました。

訪問当時(2016年)は大河ドラマで「真田丸」が放映中。そういえば「真田丸紀行」でもこの地が紹介されたことがありましたね。

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天鷺村敷地内にある岩城歴史民俗資料館でも、御田の方にまつわる企画展が開催中でした。

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館内の岩城氏略年表では亀田入部前の磐城時代の年表も。

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嘉永5年(1852)に築かれた亀田城大手門の鬼瓦。

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敷地内には古民家が数軒移築されており、由利本荘市文化財に指定されています。

上の建物は泉田地区の肝煎を務めた佐々木家の住宅。江戸後期の農家の様式をよく継承しているとのこと。

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内部の様子。

 

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佐々木家住宅茶の間にあったお仏壇。明治期には養蚕をやっていたそうで、往時の裕福さを偲ばせる豪華な造り。

 

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菊水をあしらった自在鉤。

 

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こちらは武家屋敷の移築。代々亀田藩で馬術師範を務めた松村家の住宅。

 

続いて天守閣風の展望台へ。

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展望台内部に貼られていたNHKのポスター。なかなか身につまされます。

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展望台からの眺め。けっこう海が近い。

 

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他にも歴史館なんかがあったようですが、入り方が分からずパス(閉鎖されてたのかな)。それでも意外と見応えのある施設でした。

 

龍門寺:岩城家墓所

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続いて、町の外れにある岩城家の菩提寺:龍門寺へ。

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境内の一番奥に鎮座する、亀田藩主岩城家墓所

秋田市の佐竹家墓所と並び、県内に残る近世大名家墓所として、秋田県の史跡に指定されています。

中央の御霊屋には岩城家累代の位牌や二代重隆・七代隆喜の木造が置かれており、左右の覆屋の下には五輪塔が鎮座しています。

ちなみに龍門寺、岩城家の旧領であるいわき市平にも現存していて、そちらには移封前の累代当主の墓所が残されています。

町内には他に、顕性院が建立した妙慶寺にも真田ゆかりの展示があって面白そうだったのですが、駐車スペースが見つからず断念。かつて地元を治めていた殿様の「新天地」を後にしたのでした。

象潟

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途中、道の駅象潟に立ち寄ろうとしたら大変な混み様で入場できず。後で調べたらどうやらポケモンGOの聖地のような扱いになっていたらしく。今は少しは落ち着いているでしょうか。

 気を取り直して、最後の訪問先:にかほ市象潟へ。最初に郷土資料館で象潟の概要に触れる。

 象潟の始まりは紀元前466年に発生した鳥海山の噴火で、山体崩壊による「流れ山」が日本海まで到達。体積した土砂で一帯に浅い海と島々ができあがり、やがて発達した砂嘴によって海から分断して潟湖となり、古代より景勝地として親しまれるようになったのだとか。江戸時代には「東の松島、西の象潟」と並び評されたそうですが、リアス式海岸である松島とは、全く異なる形成過程を経ていたようです。

古くは歌枕の題材となり、元禄2年(1689)年に松尾芭蕉天明4年(1789)に菅江真澄が訪れるなどしていましたが、文化元年(1804)6月4日に発生した象潟地震で海底が隆起。周辺の開拓などを経て現在に至るとのこと。

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資料館の外には、鳥海山山体崩壊に巻き込まれた「埋もれ木」が展示されていました。こうした埋もれ木を年輪年代測定法で調査して、山体崩壊の発生年が割り出されたそうです。この辺では古くから埋もれ木が数多く出土しており「神代杉」として建築・工芸材料として重宝されていたとのこと。

 

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資料館を見てから象潟の現地を訪問。

松尾芭蕉等の多くの文人が訪れた古刹:蚶満寺

象潟地震の後、本荘藩によって嘗ての小島が削られ開発されそうになった時、当時の住職:覺林が景観保護のために奔走した逸話が残されています。

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江戸後期に建てられた楼門。ここから先は入山料300円。

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本堂。象潟地震の後の再建でしょうか。

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本堂裏手からのかつての九十九島。うーん…割と近くに住宅街もあってここからの風景はいまいち…。田んぼに水が張られた時期ならもう少し違ったかも知れませんが。それでも鳥海山の姿は流石の名峰。

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よく見ると、向こうの山に風力発電の風車が横一面にズラリ。古くからの景勝地との対比が印象的でした。

 

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かつての九十九島の風景は、むしろお寺の外から見たほうが印象的でした。

潟湖だった頃の名残がまだまだ感じられる風景。

 

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 九十九島全てを回る時間は無いので、お寺すぐ近くの「駒留島」までのみ歩いてみる。

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駒留島の頂上にあった、国指定史跡・名勝を示す石柱。

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再び鳥海山

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小島には一つ一つに名前が付けられているとか。

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壮観、という程では無いですが、田植えの時期にもう1回来ても良いかな、と思える場所でした。

 

象潟を見終えた時点で午後4時。こりゃ家に着く頃には夜中ですな…と思いながら帰路について南下。酒田から日本海東北道、山形道、東北道磐越道と乗り継いで、午後9時に帰宅。4日間、総走行距離約1,150kmの旅を終えたのでした。

角館、秋田市男鹿半島、由利地方と、それぞれ地域の歴史や自然に親しめた良い旅でした。今回行きそびれた場所もあるのでいずれまた再訪したいです。でも今回行けなかった横手や湯沢、小坂町あたりも興味深いので、次回秋田を訪れる際にはそっちがメインになるかもしれませんね。

秋田旅行3日目② 男鹿半島周回その2

 

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の続き。

入道崎へ

赤神神社を後にして、日本海沿いの道を北上。

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道中見つけた廃ドライブイン。見事な廃墟振りに思わず車を停めた。

男鹿水族館GAOにも寄りたかったのですが、スケジュール的に微妙だったのと駐車場が満車だったことからパス。まぁまた来ることもあるでしょう。

お昼ちょうどに入道崎に到着。

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お昼はうにといくら。観光地値段ですがやむなし。

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サービスでサザエも付いてきました。

 

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入道崎灯台

明治31年(1898)に設置。現在の灯台は昭和26年(1951)改築の2代目。

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白黒の縞模様が美しい。

 

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草原の先は断崖絶壁。その先にはこれぞ日本海、という感じの荒波。

 

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普段は灯台内部に登れるようでしたが、訪問時は残念ながら強風のため閉鎖中。

 

 元職員詰所と思しき資料館は、中に入ると外の風の音が一切聞こえない、堅牢な造りでした。

 

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岬の北の端から蠢く波を写す。あまりの強風で1分と居られず。

ススキのたなびき具合で風の強さを感じていただければ。

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岬の北の沖合にある水島。

真ん中に建っている白い塔は、灯台の光を反射する照射塔とのこと。

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灯台守という職業のある時代に生まれたかったなあ、などと思いつつ、強風から逃げるように退散。

 

真山神社なまはげ

 

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海沿いを離れて半島の中央部に位置する真山神社へ。

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なまはげゆかりの神社ということで、楼門にはこんな奉納額が。

国鉄土崎工場鍛冶職場という願主も渋い。

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神社の本殿は3km先の真山山頂。なので麓の拝殿だけお参り。

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境域に今も残る薬師堂。

神仏分離以前は修験道霊場だったそうです。

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2つの御神輿。

向かって右のは正徳4年(1714)に秋田藩主:佐竹義格が寄進したもの。

国や自治体の指定は受けていないとはいえ、文化財級のものがしれっと置いてあるとビビりますね。

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ここにも境内にしれっと置かれていた丸木舟。こっちは市の有形民俗文化財に指定されている模様。

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赤神神社では本降りの雨だったのに、こちらに来た時には晴天。

せわしない空模様でした。

なまはげ館・男鹿真山伝承館

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真山神社を参拝後、その横に建てられたなまはげ館を観覧。

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入館時にちょうど、なまはげの実演が行われるそうだったので、先に男鹿真山伝承館へ。

けっこう人気の施設らしく入口には体験待ちの行列ができてました。

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奥の間で座って待機していると、外壁をドンドン叩きながら2体のナマハゲが登場。

「泣く子はいねがー!悪い子はいねがー!」

お馴染のセリフを吐きながら、しばらくの間座敷を徘徊。

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 やがて家の主役の人に宥められ、酒肴を振る舞われるなまはげ

なまはげが「なまはげ台帳」なるものを取り出してそこに記された家族の悪事を読み上げ、それに対してまた主人が家族をかばいつつ宥め立て…というやり取りが繰り広げられます。

 

なまはげ「お前ぇん所の息子は…学校の宿題を何回も忘れたようだな!あと嫁は…夜な夜な家を抜け出してカラオケ三昧してるようでねぇか!」

主人「いやいやそれは…」

 

カラオケとか随分モダンなもの知ってんななまはげ。きっとこのご時世なら家族の悪口をSNSに書き込んだとか、ソシャゲに課金してお小遣い浪費したとか、そういうことも台帳に書かれてるんだろうな。

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地団駄を踏んで怒りを表すなまはげ。そういえばこのなまはげは包丁持ってませんね。

 

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子供や嫁が出てこないことに怒り、観客席を探し出すなまはげ

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客席に迫るなまはげ。裏の戸に回り込んで客席に乱入するパフォーマンスもあって、なかなか臨場感がありました。

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男鹿真山伝承館の建物は明治40年(1907)に建てられた古民家を移築したものらしく、国の登録有形文化財となっていました。次の実演時間が迫っており内部の写真はあまり撮れず。

 

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続いてなまはげ館を観覧。

 

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ここの見どころは男鹿半島各地のナマハゲ面が一同に介したこの展示。

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怖い面、ユーモラスな面、古くから使われていそうな面、アルミホイル等現代の材料を使った面など、どれも個性的。

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中には今も現役で利用されているお面もあり、なまはげシーズンになると地域の人が受け取りに来るのだとか。

しかしこのご時世、すでに中断している地区もあるんだろうなあ。

売店にはなまはげ柄のネクタイが売られていて(7,000円)、買おうかしばし迷いました。

再び大潟村へ:干拓博物館

なまはげ館を見た後は再び大潟村へ。

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村の中心地区の一角に建てられた、大潟村干拓博物館を観覧。

日本第2の面積を誇った八郎湖を、昭和32年から(1957)昭和39年(1964)年までの工事で干拓し、同年に発足した大潟村のあゆみが展示されています。

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八郎湖ビフォーアフター。かつての八郎湖の姿を見ると、男鹿半島が2つの砂州によって本土と繋がった陸繋島であることがよく分かります。

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干拓の手順に関するミニチュア展示。

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初期の入植者は全国から公募され、試験を経て選抜されたとのこと。

 

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入植当初の様子を再現したジオラマ

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単なる博物館の展示の一つかもしれませんが、大潟村の精神を象徴するかのような、そんな崇高さを感じさせられました。

 

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屋外には干拓や耕作で利用されていたと思われる器具類が展示されていました。

 

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ついでに村の中央部附近に築かれた大潟富士に立ち寄り。山頂で海抜0m。

 

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大潟富士の横に建立された、八郎潟開拓記念水位塔。半円の切れ目でちょうど海抜0m(=八郎潟の当初の水位)とのこと。

 

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海抜0mからの眺め。

八郎潟、立ち寄る前は道の両脇に広がる一面の水田!という光景を想像していたのですが、実際には車道の両脇には用水路と樹林帯が視界を阻んでおり、思っていたような光景は得られませんでした。八郎富士からの眺めも↑のような感じ。まぁ、田園地帯の一端を覗けただけでもよしとします。

 

再び秋田市街へ

 この日の宿は秋田市街地のビジネスホテル。ということで、24時間ぶりに秋田の街なかへまたまたとんぼ返り。

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夕飯は秋田県立美術館近くの居酒屋へ。

 

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比内地鶏の親子丼。

 

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比内地鶏のアイスクリーム。

 

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 秋田市街地の夜はなかなかの賑わいでした。ホテル回りはシャッター街世知辛い感じでしたが…

 秋田駅ビルでお土産を買い込んでこの日の活動は終わり。

 

秋田旅行3日目① 男鹿半島周回:寒風山と赤神神社五社堂

nori1104.hatenablog.com

の続き。

この日の旅先は男鹿半島

 

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朝食。食べ過ぎ。

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泊まったホテルの外観。

 

寒風山

この日最初の目的地は半島付け根にある寒風山。

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少し山道を登ると、芝草に覆われた開放的な空間が。

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主峰の南側のピークにある小展望台に登ってみる。

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石畳の遊歩道も相まって(海外行った事ないのでよく分かりませんが)どことなく異国っぽい。

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 小展望台から寒風山方面を臨む。

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男鹿市街地方面。奥に見える石油タンクは秋田国家石油備蓄基地のもののようです。凄みのある名前ですね>国家石油備蓄基地

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寒風山の中腹にはなにやら石碑のようなものが見えます。

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過去に周辺を襲った地震の被害を記した地震塚のようです。

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記念撮影するんじゃない。

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続いて山頂にある展望台へ。今でも現役の回転展望台。

 

 

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展望台内部はちょっとした資料館になっていました。

↑は男鹿沿岸で長らく利用されてきた丸木舟。

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色々な感情が込められていそうなプレート

 

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火口跡。なだらかな山容のなかで急峻さがひと際眼につきます。

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こちらの浅い窪みも火口跡。

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世界三景のひとつだそうです。言ったもん勝ちですね

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 昨日泊まった八郎潟方面。調整池の直線的な湖岸線が眼を惹きます。

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南の潟上市方面。こちらは海岸線の曲線が見事。

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山頂には何故か「五箇条の御誓文」を刻んだ石柱が建てられています。

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昭和5年に山頂に築かれ、同39年に現在地に移設されたとのこと。

月並みですがここまでの輸送方法が気になります。

赤神神社五社堂へ

寒風山を下り、次の目的地:赤神神社五社堂へ。

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しかし海岸沿いを走っていると所々海の様子が気になってしまい、時折車を停めて海を眺めていました。

 

 眼の前と沖合とで波の進む方向が違っていて不思議な光景でした。

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道すがら下手な写真を何枚か撮っているうちに神社入口に到着。

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男鹿半島に住まう鬼たちが、一晩で999段積み上げたという石段を登る。

ひょっこり鬼ならぬ熊に出くわさないかとビクビクしながらの登りでした。

男鹿半島には熊はいないとのことでしたが)

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石段を登ること10分。五社堂に到着。

人里離れた山中に五つの社殿が並ぶ。

元は貞観2(860)年開創と伝わる「日積寺永禅院」というお寺だったものが、明治3年に神仏分離令によって神社に改められたもの。現在の五社堂は宝永4年(1707)~同7年(1710)に秋田藩主:佐竹義格の命により改築されたもので、国の重要文化財に指定されています。

向かって右側から順に、三の宮堂、客人(まろうど)権現堂、赤神権現堂、八王子堂、十禅師堂となっています。

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土塁を登り、一社づつ参拝。

 

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先述の石段を築いた鬼の伝説は「ナマハゲ」の由来の一つとされており、以下のような伝説が残されているとのこと。

漢の武帝が不老不死の薬草を求め、5匹のコウモリを従えて男鹿半島を訪れた。5匹のコウモリは鬼の姿に変身し武帝の為に働いたが、正月15日に一日だけ休みを貰い、村里に下りて乱暴狼藉を働いていた。耐えかねた村人が武帝に対し「鬼が五社堂まで1,000段の石段を築くことができたら、毎年一人づつ娘を差し出す。もしできなかったら、二度と鬼たちを村に降ろさないで欲しい」と持ちかけた。鬼たちは一晩で999段まで石段を積み上げたものの、村のアマノジャクが鶏の声真似をして夜明けを偽り、石段完成を阻止。騙された鬼たちは、怒りに任せて近くの千年杉を引き抜き、逆さまに地面に突き刺して山へ帰り、二度と村には下りてこなかった…

不老不死の妙薬を求めた中国の皇帝といえばまず始皇帝が思い出されますが、この伝説だと漢の武帝なんですね。

上の写真の杉の木が伝説に現れる「逆さ杉」なのかな、と思いましたが、現地の説明板に「何時の頃よりか枯れ朽ちて今は古株だけが現存している」とあったのでどうも違うっぽいです。

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五社堂に着いたときは晴れ空だったのですが、いつの間にか雲行きが怪しくなり終いには雨が降り出し、しばらく手水舎で雨宿りする羽目に。そんな経験も含めて神秘的な空間でした。

秋田旅行2日目⑤ 寺崎廣業展と藤田嗣治「秋田の行事」と

 

nori1104.hatenablog.com

の続き。

  久保田城跡を見終えた時点で既に16時近くを回っていたものの、折角なのでギリギリまで粘ってみるかという事で、三の丸にある「秋田市立千秋美術館」と「秋田県立美術館」を限られた時間内でハシゴしてみることに。

 両館ともに閉館時刻が18時と若干遅めなのも幸いでした。

 まずは秋田市立千秋美術館。秋田蘭画が見られれば良いなあ、と想いながら入館したのですが、開催していたのは秋田市出身の日本画家:寺崎廣業(1866~1919)の展覧会でした。

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 寺崎廣業、恥ずかしながらこの展覧会で初めて名前を知ったのですが、生前は横山大観竹内栖鳳らと肩を並べ、明治・大正期の日本画壇の頂点に君臨していた画家だったそうです。

 展示作品の中では、明治時代の風俗を後世に伝える「『当代の歴史画』としての風俗美人画」として描かれた「秋苑」、大画面の歴史画「大仏開眼」などが特に印象に残りました。晩年に描かれた信州の山々もたいへん良かった。

 次いで、秋田県立美術館を訪問。

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 美術館は安藤忠雄の設計。確かにそう言われてみればそんな感じがします。元は千秋公園内にあったものを、平成25年にこちらの再開発区域に移転してきたものなのだそう。元の建物には藤田嗣治の意向なども反映されており、そこからの移転には反対運動などもあったようですが、それはさておき。

  ここでの見どころは藤田嗣治の「秋田の行事」。秋田有数の資産家であった平野政吉が、建設を構想していた美術館の壁画とするために、親交のあった藤田に制作を依頼したもの。展示室に入ると高さ3m65cm、幅20m50cm(!)という大作振りにまず圧倒されます。絵の中には竿灯祭りや山王祭などの祭礼や、制作当時(昭和12年)の秋田の冬の生活等が生き生きと描かれており、秋田人ならずとも厳かな気持ちにさせられました。記念にポストカード(風の複製)買いましたが横長すぎて家での取り扱いに難儀しています。

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(長い)

 

 企画展の方は、越後瞽女を題材にした作品を数多く描いた斎藤真一の展示。

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 フライヤーの通り、赤色が印象的でした。

 

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 やや駆け足気味に2つの美術館を見て回り、後はホテルに向かうのみ。…とはいえこの日の宿泊先は秋田市内ではなく、大潟村八郎潟干拓地にあるホテル。という訳で、警報レベルの大雨*1が降りしきる夜の道を車で1時間ほど走り、本日のねどこへと向かいます。

 途中、小さな橋を渡ったかと思ったら、その後はひたすら続く直線道路。八郎潟干拓地に入ったんだと気づくのには少し時間がかかりました。もう少し大きな橋を渡るものだと思っていた。夜間ということも相まって、長い長い直線道路は走ってて少し怖かったです。

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 (元)みずうみのうえにいる。予定より少し遅れて、大潟村のホテルに到着。

 

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晩ごはん。お米はもちろん大潟村産。八郎潟干拓地で作られたお米、と聞いただけで何だか特別な感じがするのは自分だけか。

 

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*1:実際、男鹿半島で土砂崩れが発生してた模様

秋田旅行2日目④ 久保田城跡を歩く

 

 

nori1104.hatenablog.com

の続き。

久保田城跡

赤れんが郷土館の次は久保田城跡へ。

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慶長2(1602)年に秋田に入部した佐竹義宣の手によって、翌3年(1603)年に窪田の神明山に建てられた城。

本丸・二の丸部分は明治時代に、長岡安平の設計で公園として整備されています。

秋田市佐竹史料館

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二の丸の公園入口にある「秋田市佐竹史料館」を見学。

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それほど大きな史料館ではないのですが、中に入るといきなり眼の前に佐竹義重所用の黒塗紺糸威具足が展示されていて、戦国時代好きの心を掴んでくれます。

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その他にも佐竹義宣所用の二枚胴具足(肖像画でお馴染)や佐竹氏ゆかりの調度品等々が展示されており、佐竹氏関連の展示としては今回訪れたなかではピカ一でした。

千秋公園を歩く

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雨降りしきる中、久保田城跡内を散策。

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長坂門跡の枡形虎口。

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表門(再建)。

御物頭御番所

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表門前にある御物頭御番所。

久保田城は明治13(1880)年の大火で殆どの建物が焼失していますが、この御番所は18世紀後半の建築と推定され、城内で旧位置に残る唯一の建造物となっています。

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物頭が詰めて登城者を監視していた部屋。薄暗い雨空の下で雰囲気が出ていました。

本丸:八幡秋田神社など

表門をくぐった先は本丸です。

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本丸の様子はこんな感じ。

かつては政庁と本丸御殿が置かれ、周辺の土塁の上は多聞長屋と板塀で囲み、要所要所に隅櫓が置かれていたとのこと。

 

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本丸に鎮座する八幡秋田神社。

明治11年(1878)年に、初代藩主秋田義宣を祀る「秋田神社」として創建され、同32(1899)年に現在地に移されました。現在は9代藩主義和、12代藩主義堯、佐竹氏の氏神だった八幡神社が合祀され、明治40(1890)年に現在の名称に改められています。

かつての社殿は、文政年間(1818~1829)に城内に造営された大八幡宮のものが移築され使用されていましたが、平成18(2006)年に焼失。現在の社殿は再建されたものです。

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八幡秋田神社横にある与次郎稲荷社。

久保田城築城以前、神明山周辺に棲んでいたとされるキツネの頭:与次郎を祀ったもの。

よく見ると奉納されているキツネの像の形がそれぞれ微妙に異なっていて面白かったです。

 

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本丸の西北隅にある、平成元(1989)年に市制100周年を記念して復元された隅櫓。

…ただし、てっぺんに展望台が追加され、模擬天守のような姿になっています。

元々この場所にあった櫓は二階造りで、武器庫を兼ねた役割を担っていたようです。

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内部は佐竹氏の治世の解説がパネル展示されています。

 

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往時の久保田城を再現した模型も。

 

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本丸周辺。

 

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4階の展望台から秋田市街を臨む。

久保田城築城を題材にした岩明均の短編「雪の峠」のラストに描かれた秋田市街地の風景ですね。

 

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 (↑「雪の峠」より)

 

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本丸に設置された佐竹藩最後の当主:佐竹義堯公の銅像

元は大正年間に造立されましたが、第二次大戦中に金属供出され、現在の像は平成元年に復元されたもの。

彌高神社

本丸から今度は裏門跡を通り、再び二の丸部分へ。

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 二の丸の北側には、平田篤胤佐藤信淵を祀った「彌高神社」があります。

こちらの本殿・拝殿はかつて久保田城内にあった「正八幡宮」の社殿を転用しており、県の文化財に指定されているとのこと。

消失した八幡秋田神社の方は「大八幡宮」なので、それぞれ別の社殿が城内にあったということなんでしょうかね。

 

http://www.city.akita.akita.jp/koho/data/html/0786/0786_03_04.htm

秋田市HPのこちらの記事によると、佐竹氏初代昌義が石清水八幡宮から勧請したのが「大八幡」、13代義人が鶴岡八幡宮から勧請したのが「正八幡(小八幡)」だったとか。なるほど、大と小。

 

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拝殿は見れない感じだったので、拝殿のみ撮影。

 

 

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神社の前方には庭園が広がっていますが、これは明治期の千秋公園造成の際に整備されたものとのこと。

設計を担当した長岡安平は、明治~大正期に東京都嘱託として東京都内をはじめ全国各地の公園設計に携わっていたようです。

秋田旅行2日目③ 赤レンガ郷土館(旧秋田銀行本店本館)

秋田旅行2日目② 佐竹氏の菩提寺と秋田県立博物館 - nori1104の日記

の続き。

 

お昼過ぎに県立博物館を出発し、秋田市中心部へ。

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繁華街の一角にあるお店でラーメンをいただく。

ぼく「すみません、この…えっと…(『千秋麺』って何て読むんだ…?)『ちあきめん』?ってのください」

お店の人「ああ、『せんしゅうめん』お一つですね。かしこまりました」

ぼく「あっあっ…ごめんなさい…」

久保田城跡の「千秋公園」にちなんだ料理名であることも知らず、他所から来た人であることがモロバレのやり取りでした。

後で知ったのですが、この辺りで一杯やった後の〆のラーメンの定番だとか。美味しかったです。

 

赤れんが郷土館(旧秋田銀行本店本館)

 

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昼食を終え、市街地最初の見学先:赤れんが郷土館へ。

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秋田銀行本店本館として明治45(1912)年に建造され、昭和44(1969)年まで銀行の店舗として使用されていました。戦後の一時期はアメリカ進駐軍の軍政部として利用されたこともあるとのこと。昭和56(1981)年に秋田銀行から秋田市に寄贈され、平成6(1994)年に国の重要文化財に指定されています。

1階部分は白の磁気タイル、2階部分はその名の由来ともなった赤い化粧煉瓦が外壁に施されています。土台には男鹿石が利用されています。

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外観も非常に美しいのですが、内部もお見事。入ってすぐの営業室では、天井の石膏の彫刻に圧倒されます。

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気づいたら天井の写真ばかり撮っていました。f:id:nori1104:20170604205655j:plain

扉周りの装飾にもほれぼれ。

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営業室の奥には頭取室と金庫室。

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 2階部分から営業室を眺める。トラス工法のお蔭で支柱のない開放的な空間。

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通路の装飾も一つ一つが素敵。

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 貴賓室。内装にもひときわ力が入っていました。

 この他には常設展示として、秋田市内の伝統工芸の展示、木版画家・勝平得之、鍛金家の関谷四郎の作品展示などがあり、企画展示室では土方巽と秋田にまつわる展覧会が開かれていました。

秋田旅行2日目② 佐竹氏の菩提寺と秋田県立博物館

長らく放置してしまいましたが、半年前の秋田旅行記の続き。

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天徳寺:佐竹氏の菩提寺に残る重文建築

ホテルで朝食の後、角館を出発。

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下道を車で1時間ほど走り、本日の旅行先:秋田市へ到着。まずは佐竹氏の菩提寺:天徳寺にお参り。

元々は常陸太田にあったお寺。寛正3年(1462)、佐竹義人が夫人を弔う為に創建したのが始まりで、その後水戸を経て佐竹氏の転封に伴い秋田楢山に移転。寛永元年(1624)に火災に遭ったのを期に現在地に移転しました。

上の写真に写る総門は寛永元年の火災で焼け残り、寺の移転とともに現在地に移された境内最古の建築物。この総門の他、山門、本堂、書院、佐竹家御霊屋が国の重要文化財に指定されています。

 

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総門をくぐり、宝永6年(1709)建立と伝わる山門を臨む。

お寺の前はけっこう車通りの多い県道に面しているのですが、境内に入ると外の喧騒とは隔絶された静穏な空間が広がっていました。

 

門脇に置かれていた看板に、本堂・書院は保存修理工事のため平成35年まで拝観不可との文字が。あーこれはアレだな、中に入れても建物は覆屋で見れないやつか。まぁそういう巡り合わせなら仕方ないな、などと想いながら参道を歩いていたのですが、

 

 

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 山門をくぐると、覆屋も無く目の前に茅葺き屋根の立派な本堂が。本堂前のスペースが工事区画のため、少々殺風景な中を遠巻きの参拝となりましたが、貞享4(1687)年に1万石を投じて建造された立派な本堂を眺めることができました。

書院と佐竹家霊屋は工事中のため立ち入りできず、次の目的地である秋田県立博物館へ向かいます。

 

秋田県立博物館:「発掘された日本列島展2016」を見る

 

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 かなり本降りとなってきた雨のなか、秋田市の北のはずれにある県立博物館に到着。

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 まずは巡回していた文化庁の発掘速報展「発掘された日本列島2016」を観覧。

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展覧会内部は撮影OKでした。これは新潟県糸魚川市の六反田南遺跡から出土した縄文土器群。

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ひとつひとつの土器の造形が異なっていていつまでも見ていられます。

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奈良市国史跡・中山瓦窯跡から出土した鬼瓦。中山瓦窯跡は平城宮に供給する瓦を生産していたとのこと。

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福島県須賀川市・稲村御所館跡から出土した、呪いの墨書のあるかわらけ。

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伏見城跡出土の金箔瓦。

・・・等々、全国各地から出土した考古資料を堪能しました。

あとこの「発掘された日本列島」展、東日本大震災以降は「復興のための文化力」と題して、震災被災地における復興事業に伴う発掘調査の成果を継続して特集展示してくれています。

今年度の被災地における発掘成果で面白かったのは福島県楢葉町の高橋遺跡で、全国的にも珍しい男性型の土偶が発見されたとのこと。高さ6cmほどのとても小さな男性型土偶が展示紹介されていました。

また今回は、地震や噴火、洪水などの被害や、災害からの復興の様子が分かる遺跡についても、2つ目の特集「復興の歴史を掘る」で紹介されていました。火山灰に埋もれた畑地を復旧する「天地返し」の遺構が見られる横野山王遺跡(神奈川県秦野市)、地震で生じた地割れを瓦礫捨て場に活用した段ノ原B遺跡(福島県相馬市)などの事例が興味深かったです。

 

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秋田県立博物館、常設展示の方は人文展示と自然展示、秋田出身の偉人を顕彰する「秋田の先覚記念室」等があり、全てをじっくり見ようとすると丸一日はかかりそうなボリュームでした。それでいて常設展観覧料は無料という気前の良さ。今回は時間の都合で人文展示のみを一通り観覧。残念ながら一部を除いて撮影禁止だったのであまり写真はありません。これは!と思うような展示については(訪問から半年以上経った)今ではあまり思い浮かばず何とも申し訳ないですが、古墳時代の展示が少なめで代わりに秋田柵・払田柵や前九年・後三年の役等、古代の展示が充実していた(気がする)のは特徴的だった、ような気がします。