nori1104の日記

旅行とか展覧会の感想とか

北海道旅行2日目④ オロロンライン南下(天塩~留萌)

nori1104.hatenablog.com

の続き。

この日の宿泊地である留萌まで、道中の博物館を覗きながら南下します。

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昼食後に天塩を出発し、遠別町初山別村を通過。

遠別町の市街地では神社の例祭と思しきお祭りが開かれていました。

遠別にも郷土資料館があったようですが要予約だったのでパス。

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途中、初山別の道の駅で休憩。駅から金比羅岬の灯台を臨む。

この岬にある神社も良さげな感じだそうですが、今回は通過。

 

羽幌町郷土資料館

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羽幌町の中心部にある「羽幌町郷土資料館」に到着。

建物はかつて羽幌簡易裁判所だったものを転用しているようです。

 

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年季の入ったちょっと手狭な建物に、これまた年季の入った展示解説。そして所狭しと並ぶ展示品。よくある田舎の歴史資料館といったところですが、こういう雰囲気が好きだったりします。

ここの解説でへー、と思ったのが、羽幌町には天売島・焼尻島という2つの離島があるのですが、人の定着という点では羽幌町本土よりも早かったらしいという所。縄文時代の遺跡も両島地区に集中しているほか、和人の定着も両島では江戸時代には既に漁業が行われ、明治10年頃までには村落が形成されていた一方で、羽幌本土では江戸前期に砂金の採取が試みられた他は川沿いにアイヌが住むだけだったとのこと。

 

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小さな部屋一室を丸々使って再現されていた、明治時代の「開拓小屋」。

羽幌本土にはじめて和人が定住し始めたのは明治18年(1885)頃からで、当初は写真のような木と笹を材料にした仮小屋を作って寝床としながら、土地の開拓や漁業に勤しんでいたとのこと。

 

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町の人から寄贈されたのであろう様々な民具たち。

 

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みんな大好きタイガー計算機。

 

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 和文タイプライターなんてのもありました。元は役所かどこかの備品かしらん。

 

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町内で操業していた「羽幌炭鉱」の展示。

地域に一時代を築いた炭鉱として、展示物も一際充実していました。

 

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明治時代から鉱脈の調査や試験的な採炭は行われていたようですが、操業にはかなりの時間を要し、本格的な採掘は昭和15年(1940)のこと。産出された石炭は純度が高く、灰と煙が少ない家庭用暖房燃料として重宝され、全国屈指の優良炭鉱と謳われいたそうです。エネルギー革命が進む中でも近代化を進め、昭和43年(1968)には年間114万トンの石炭を産出していましたが、その翌年に炭鉱の主力を担っていた築別坑が断層にぶつかり経営が悪化。昭和45年(1970)に30年の歴史に幕を閉じました。全盛期には炭鉱周辺に1万3千人もの住民がいたようですが、現在ではほぼ無人化。炭鉱跡には上の記念皿にも記された運搬立坑をはじめ、貯炭場や炭鉱アパートといった建物や設備が現在も廃墟として残されているとのこと。次にこの地に来るときには是非そちらも見てみたいものです。

 

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 閉山とともに廃止された羽幌炭礦鉄道関連の展示物。

 

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漁業関連の展示。

 

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抜き型。箱に印を付ける用でしょうか。

 

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2階には地質関連の展示。↑は羽幌ダム建設中に発見されたアンモナイト

町東部の山中からはよくアンモナイトが出土するようです。

 

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みんな大好き異常巻きアンモナイト

 

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小さいながらも地域の特色を良く伝える、良い博物館でした。

 

苫前町郷土資料館

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羽幌町を発ち、隣の苫前町へ。時間も15時を周りやや駆け足気味。

 

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ただせっかくなので郷土資料館はまた覗いてみる。

こちらの建物は元町役場。昭和3年に建てられたものだそうです。

 

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この町で起きた大事件が「三毛別羆事件」。

館内には羆による民家襲撃の瞬間が再現されていました。だいはくりょく。

 

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昭和55年に仕留められた、体重500kgの巨熊「北海太郎」。

 

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この博物館も館内に民俗関連の展示が所狭しと。

町自体の歴史は江戸初期に「トママイ場所」の名で記録に出てくるのが始まりのようです。江戸時代は松前藩士工藤家の支配となり、江戸中期以降は特権商人の栖原氏が場所経営を請負って、アイヌとの交易や漁場経営を行っていたようです。江戸後期からニシンを追って漁民の進出が進み、ニシン漁最盛期の明治30年代には年間漁獲量が3万石をに達し、漁期には3千人近くの漁夫が村外から入り込み、賑わいを見せていたようです。

 

 

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ニシン漁関連の展示にあった「カスダマキリ」。

ゴールデンカムイのおまけ漫画が思い出されます。

錆びついていても巨大な刃物は威圧感があります。

 

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全長3メートル半に達する巨大な修羅。

幕末~明治頃に製作され、鰊漁船の建材運搬のために使用されていたもので、町の文化財に指定されています。

 

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館の一角にまとめて置かれていた仏教関連の展示。

万延元年(1860)に創建された町内最古のお寺「金宝院」に伝わっていたもので、お寺に後継者がなく廃寺となった際に資料館に寄贈されたものとか。

 

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かつての町長室は町役場時代の雰囲気が残されています。

 

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町章。「トママエ」の文字。

 

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考古・アイヌ関連の展示は、旧町役場の東側に建て増しされた考古資料館にまとまって展示されていました。

 

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巨大なトドに挑む縄文人

 

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屋外には縄文時代・擦文文化の竪穴住居、アイヌのチセが再現されていました。

留萌へ

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苫前の町を出て、本日の宿・留萌を目指す。

道中撮影した靄向こうに見える風力発電の風車群。強い。

 

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海沿いの高台に並ぶ風車群。強い。

 

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小平の鰊番屋は時間切れで入れず。明日とんぼ返りして見ることに決める。

留萌に到着したのは17時30頃。黄金崎にある「留萌海のふるさと館」が日没まで営業しているとのことだったので、この日の最後に周ってみることに。

 

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こちらの建物は1989年に建てられた比較的新しいもの。あまり写真撮っちゃいけない雰囲気だったので写真は雰囲気だけ。

 

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市内で出土した鎌倉時代の鎧兜とか、現地アイヌの首長が着用していた山丹服の再現などはなかなか興味深かったのですが、

 

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昔はレストランがあったであろう謎の空き空間とか、昔は魚が居たであろう謎の空き水槽とかもあって、少なからぬ虚無感もまた感じたのでした。

この記事を書くのにWikipediaの本施設の記事を見てたら存廃問題に1項目が割かれていて、現地で感じた虚無感が一層思い出されました。

 

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かつて江戸末期に烽火台があった場所に建てられただけあり、海の眺めは見事。

 

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振り返るといかにも北国っぽいつくりの公営住宅

 

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日没時間が近づいてきたので、さらに海沿いに近づいて夕焼けを眺める。

 

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どこかで見ている監視の白目。

 

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振り返ると海のふるさと館。

 

 

 

 

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夕陽。

 

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この辺りの海岸は柱状節理がお見事。

 

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鳥。

 

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鳥と夕刻の海。

 

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日没まで居ても良かったのですが、SDカードの容量が微妙になってきたので電気屋さんに寄るために退散。

 

 

ついでに三省堂書店が出している書店を覗いてみたり。

電気屋と書店を覗いた後は、中心市街地にあるビジネスホテルにチェックインして2日目の行程は終了。行動時間はまるっと12時間超でした。

 

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晩飯はホテルのすぐそばにあった「蛇の目寿司」。

写真の全ネタ21貫セットはこれで2,500円。

 

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お隣増毛町の國稀も一杯いただきました。

北海道旅行2日目③ 天塩の神社と資料館

nori1104.hatenablog.com

の続き。

 

オトンルイ風力発電所を出発して、天塩川に架かる橋を渡ると、程なくして天塩町の市街地に到着。久しぶりに人里に戻ってきた感覚。

 

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まずは市街地の北のはずれにある厳島神社を参拝。

 

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開放的な空間に真っ直ぐ伸びる参道の石畳。

神社という「日本的なるもの」の最たるものにも関わらず、どこか日本っぽくないなと思ってしまう。

戦前、満州などの外地にあった神社もこんな感じだったのかなあ。

 

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参道の先には神明造の社殿が鎮座しています。

現地の説明板によると、この厳島神社の創建は文化元年(1804)、紀伊国から来た栖原角兵衛が、この地に漁場経営のための運上所を解説する際に弁財天(市杵島姫命)を祀ったのが始まりとされているとのこと。

 

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明治42年(1909)に現在地に移転。社殿もその時のものでしょうか。町の有形文化財に指定されているようです。

 

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はるばる越前国の人が灯籠を寄進しているのは流石港町という感じがします。

 

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神社の脇には戦没者の彰功碑と町の開基百年記念碑なるものがありました。

 

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神社の参拝を終えて天塩の町なかへ。

 

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続いてのお目当ては天塩川歴史資料館。

建物はかつての町役場が活用されています。

立派な赤レンガ造りですが、建造年は昭和26年(1951)と意外に新しい。

 

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旧町役場らしく、正面には町章が残されていました。

 

 

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 展示室に入ると、いきなり大きな船の展示がお出迎え。

 これは「長門船」と呼ばれる川船で、天塩川河口にあたる天塩の町と、幌延・中川といった上流の内陸地域との間で物資を輸送していたとのこと。ちなみに写真の船は1/2スケールだそうです。

 

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江戸時代に北前船の中継地として開かれ、明治時代には小樽との定期便が就航、天塩川の舟運を活かした交通の結節点だった天塩港。ニシン漁の隆盛もあって、明治~昭和初期は大変な賑わいだったようです。

 

f:id:nori1104:20171218231631j:plainアイヌ関連の展示はパネル展示が主でした。

 

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消防関連の展示。

あくまで自分の印象ですが、今回の旅行で訪問した町の博物館、どこも消防関連の展示は割と良く取り上げていたような気がします。

消防関連の資料は役所絡みなので公立博物館で展示しやすい、という面は確かにあると思いますが、とても風が強く大火の歴史も多い土地柄、というのも理由としてはあるのかなぁ、などと思ったりしました。

 

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2階には近代の開拓にまつわる資料が展示されていました。

 

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本州ではあまり見ないタイプの農機具類に興味津々。

 

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1927年式のアメリカ製オートバイ「インディアン」。

ぱっと見「オッ何だかかっけえバイク展示してるな」という印象でしたが、解説文には「交通手段が夏は馬車、冬は馬橇しかない中、一分一秒を争う人命救助に光明を与えた…」的なことが書いてあって、当時の人々の切実さが伺えたのでした。

 

f:id:nori1104:20171218232719j:plain資料館の後は、天塩川の河口に立ち寄った後、町営の温泉施設でお昼。

 

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しじみラーメン。天塩名物だそうです。

 

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お昼を食べて、天塩の町を出発。

本日の宿・留萌まではあと100km。

 

北海道旅行2日目② オロロンライン南下(稚内~天塩)

 

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の続き。

 

ノシャップ岬を周った後は、日本海沿いの道をひたすら南下。

オロロンラインに合流するまでは意外に人家も多く、魚干し用の木組みの櫓とか、海に向かって建てられた船舶用と思しき標識灯?などを興味深く眺めながら車を走らせていました。

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オロロンライン合流後は道路脇の人家もぱったりと途絶え、こんな感じに。

これでも電線がある分、まだ人の手が多い方。

  

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途中、抜海(ばっかい)という集落に入り、そのはずれにあった抜海神社にお参り。

別に観光ガイドに載っているような神社ではないのですが、事前にGoogleMapで経路を眺めていた際に、神社のそばに「抜海岩陰遺跡」という表示と、いかにも信仰の対象になっていそうな巨岩を見つけて、若干気になっていた場所でした。

 

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小さな社殿の脇の小山にそびえる巨岩。

 

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 巨岩の前にあった「抜海岩陰遺跡」の説明板。

抜海という地名自体、この巨岩(アイヌ語の「バッカイ・ペ=子を背負う者」に由来しているようです。

 周辺からは続縄文・オホーツク文化・擦文文化の土器資料が出土しているとのこと。

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社殿。

 

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社殿の後ろに建てられていた忠魂碑。

 

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奥にある電波塔も印象的。

神社といえば鎮守の森が付き物という印象がありますが、そういったものがない草原の中に建つ神社というのもこの辺りならではという気がします。

抜海集落を抜けた後は再び何もない一本道をひたすら南へ。

 

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途中、海沿いに建てられた休憩施設にて休憩。

晴れていればこの辺りから利尻富士が見えていたと思うのですが、御覧の通りの天気で展望はかなわず。

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とはいえ、この天候のこの空気感もなかなか。

 

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道中見つけた牧場と牧草のロール。

 

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路側帯に停めて撮影。

間違いなく現実にあった光景のはずなのですが、今見るとどうも現実感が無い。

  

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稚咲内から一旦海沿いを離れ、海岸砂丘林を超えてサロベツ原野へ。

だいぶ新しい感じのサロベツ湿原センター。

 

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展示室内の様子。

 

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標高が低いから低層湿原、という訳ではないのね。

 

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他には湿原の形成史とか、

 

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開発と保護の歴史などが紹介されてました。
 

 展示の後はセンター周辺に整備された遊歩道を少し歩いてみたのですが、

 

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遊歩道の入口にいきなり湿原には似つかわしくない重機類が展示されていて驚かされます。

この場所には昔、湿原に堆積する泥炭を採掘して肥料に加工する工場があり、平成14年(2,002年)まで稼働していたとのこと。

 

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浚渫船。

昭和45年(1970)から32年間、これ1隻で150haを浚渫していたとか。

 

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 湿原の一部に残された浚渫の跡。

 

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 一面の湿原。

 

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湿原入口にあった注意書き。こわい。



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湿原センター脇の泥炭産業館。

泥炭を原料にした土壌改良剤の製造機械が展示されていました。

 

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サロベツ原野から再びオロロンラインへ。

 

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道中、なんだか車を停められるスペースがあるなー、と思ってたら、昔はこの辺りに休憩施設があったようで。

 

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道の左右にあるのは原野のみ。

 

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オロロンラインに戻り、ふたたび南下。

 

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 牧草ふたたび。

 

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延々と続く、道路の境界を示す矢羽根。北海道ですなあ。 

 

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途中、道路脇に風車の並ぶオトンルイ風力発電所に寄り道。

 

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もうすぐお昼だというのに未だに天塩にもたどり着かない。

果たして留萌までたどり着けるのか。

北海道旅行2日目① 稚内港北防波堤ドームとノシャップ岬

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の続き。北海道旅行の2日目。

稚内から日本海沿いのオロロンラインを南下して留萌の街を目指します。 

 

今日は見たい所も多いので、早めに朝6時にホテルを出発。

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車の中でセイコーマートごはん。

 

最初の目的地は稚内港。昨日周り切れなかった「北防波堤ドーム」を訪ねる。

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天気はちょっとあいにくな空模様でしたが、それが逆に良かった。

 

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 戦前、この場所には稚内樺太間の定期船である稚泊連絡船の発着所があり、しばし防波堤を越えてくる北の荒波から乗客を守ることを目的に昭和11年(1936)に完成。その後老朽化が進み、現在のドームは昭和53~55年に復元改修されたもの。

 

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 訪問時は半袖だと肌寒いくらいでしたが、しばし寒さも時間も忘れて見惚れていたのでした。

 

 

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防波堤ドームの前には、昭和45年に建立された稚泊航路の記念碑と、

 

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稚泊連絡船への接続列車を牽引していたC55蒸気機関車の主動輪が置かれていました。

 

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ドームの横には巡視船が2隻。

「りしり」の大きさには驚かされました。

 ドームの先で撮影。こうして見ると7月の光景とは思えぬ。

 

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 ドームの端にあった鉄の扉。SCPが収容されてそうな雰囲気。

 

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ドーム北側より宗谷海峡を撮影。

 

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ドーム前の信号機。強風のせいか傾いてました。

 

防波堤ドームの後は、引き続き北上してノシャップ岬へ。

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イルカのモニュメントがろまんちっく。

 

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ノシャップ岬の碑。横には船の錨。

 

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稚内灯台とノシャップ寒流水族館。

寒流水族館も興味はあったのですが今回はパス…どうも自分の一人旅、動物園や水族館の類を軽視しすぎているように思えてならない。

 

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岬のすぐ横にあった小さな漁港(恵山泊漁港)。

 

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向こうにかすかに自衛隊の基地が見えます。 

北海道旅行1日目③ 宗谷岬・宗谷丘陵

nori1104.hatenablog.com

の続き。

 

稚内公園を周り終えた時点で既に時刻は16時半。まあ日没時間も遅いことだし、日没前に宗谷岬一帯を見て回るぐらいならできるでしょう…という訳で、一旦市街地を離れて日本最北端の地・宗谷岬へ。

 

稚内市街地から宗谷岬までは意外と距離があり、車で30分強の道のり。

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道中、何度も車を停めて風景を写真に収めたい欲求に駆られ大変でした。 

丘向こうに風力発電が見える所で、1度だけ車を停めて撮影。

 

宗谷岬には17時ごろ到着。

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…が、岬の広場で何やらドラマか何かの撮影中で、しばらく一般人は立ち入りできず。そんな訳で、まずは丘の上にある旧海軍望楼から見学。

 

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明治35年(1902)、日露間の緊張の高まりに伴い建設され、日露戦争終結後も無線通信基地として、太平洋戦争中は対潜水艦監視基地として利用されていたとのこと。

 

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裏から見るとこんな感じ。内部と屋上部分は立ち入り不可。

 

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解説板の「船のブリッジを形づくる…」の通り、このアングルで見ると確かに艦橋っぽい。

 

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望楼の中を覗くこともできましたが、空っぽでした。

 

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望楼からの眺め。

 

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左手には宗谷岬灯台

 

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望楼から見た宗谷岬。ドラマの撮影も終わった様子。

 

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望楼の横には「平和の碑」が設置されていました。

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昭和18年(1943)10月に宗谷岬沖合で撃沈された米潜水艦・ワフー号と、ワフー号の作戦により沈められた日本船の犠牲者を追悼するために、日米合同で建てられたものだそうです。

碑の前にある2本のポールにはそれぞれ日米の国旗を掲げるのかな。

 

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さらにその横には、宗谷海域で亡くなった旧日本海軍戦没者の慰霊碑。

 

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慰霊碑の前にある廃食堂でも何やら撮影が行われていました。

先輩クルーらしき人が後輩と思しき人を怒鳴りつけている光景を目にしてつらい気持ちになりました。

 

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「あけぼの像」。酪農関係の像らしく。

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解説文を見ると、この地における苦労に満ちた農業史の一端に触れることができます。

 

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欧州人として初めて宗谷海峡を通過し、海峡の国際名称の由来となったラ・ペルーズ伯爵の顕彰碑。

 

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ここで一旦丘を下りて「日本最北端の地の碑」へ。

 

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最北端。

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「N」の字だそうです。

 

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海の向こうにかすかに見える弁天島

本当の日本最北端(ただし北方領土は除く)。

 

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間宮林蔵像。

「日本最北端の碑」を眺めるような格好で立っていました。

 

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公園内の位置関係はこんな感じ。とにかく石碑が多い。

 

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日本最北端の神社・宗谷岬神社。

社殿の作りは北海道に多い神明造。

 

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神社上空。

 

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神社の辺りから最北端を撮影。人影もまばらになってきました。

 

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海沿い一帯をあらかた見終え、再び丘の上へ。

 

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数ある記念碑・慰霊碑の中でもひときわ大きく聳えていた「祈りの塔」。

昭和58年(1983)に発生した大韓航空機撃墜事件の犠牲者を追悼するもの。

 

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高さは事件発生年に因んで19.83m。

翼の数は犠牲者の母国数と同じ16枚、利用されている御影石の数は犠牲者の数と同じ269枚なのだとか。

 

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碑文からは、遺族の悲しみと怒りと祈りの気持ちが偲ばれます。

 

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「祈りの塔」の近くにあった「世界平和の鐘」。 

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梵鐘風のデザインにWORLD PEACE BELLの銘文のミスマッチさが良い。

 

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横の花壇にも「世界平和」。

 

気がつけば記念碑の写真ばかり撮っていました。
市街地のホテルに向かう前に宗谷岬牧場の方を覗いてみようと、少し遠回り。

牧場自体は防疫上入場不可でしたが、

 

 

この景色を見ただけでも、寄り道した甲斐がありました。

 

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道の横はこんな感じ。

北方記念館の展示によると「周氷河地形」と呼ばれるもので、明治時代の山火事で森林が焼失し、その後も低音と強風の影響で森林が再生されないのだとか。

 

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遠くにはかすかに風力発電所の群れ。

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同じく遠くには放牧されている牛の群れ。

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のんびり草を食んでいました。

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 日本最北端に宗谷丘陵、初日からいきなり最高の景色に出会ってしまいました。

 

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ホテルに向かう途中でセイコーマートに立ち寄り。人生初セイコーマート

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旅の空気に飲まれてるせいかどうか分かりませんが美味かったです。

ただのコンビニ飯ですら特別な気持ちになるのだから北海道ずるい。

 

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ホテルに着いたのは19時前。

休憩もそこそこに、稚内駅そばにある「副港市場」の日帰り温泉でひとっ風呂。

 

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副港市場、お店はほとんど営業時間外でしたが、稚内港駅や樺太に関する展示も内部にあって楽しめました。

 

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温泉の後は海沿いを歩いて

 

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停泊していた漁船を撮ったり

 

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停泊していた漁業取締船を撮ったりしました。

 

 

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20時を過ぎて、南稚内駅前にある「えぞ番屋」でようやく晩ごはん。

 

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実質およそ半日の活動期間でしたが、充実した1日でした。

北海道旅行1日目② 百年記念塔と稚内公園

nori1104.hatenablog.com

の続き。

 

瀬戸邸の次は、市街地西側の高台にある稚内公園へ。

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稚内開基百年記念塔。

1879(明治12)年に宗谷地方に戸長役場が設置されたのを稚内市の開基として、それから100周年を記念して1978(昭和53)年に建造されたものです。

 

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辺りは日本海側から吹き付ける風が滅茶苦茶強く、風に向かって歩くのも一苦労といった感じでした。

 

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1階・2階部分は展示室になっています。

 

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まずは1階部分。

記念館内に入ると、間宮林蔵銅像がお出迎え。

宗谷岬にある間宮林蔵像と作者が一緒なので、同じ型のものでしょうか。

北海道の博物館はこの館が初訪問ですが、続縄文からオホーツク文化・擦文文化、アイヌ文化と、本州と大きく異なる歴史の展開に興味津々。

 

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江戸後期になると、北辺の警備を命じられた諸藩の越冬の苦労を伝える展示も。上の写真は安政年間に日本で初めて製作された西洋式ストーブ「カッヘル」の模型。

 

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寛政年間に宗谷を訪れた幕臣の記録に残る「寝棺」。

寝るときには蓋を閉め、まさに棺のような姿で寒さをしのいだとのこと。

 

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 昭和36年を最後に途絶えた「宗谷アイヌ」の文化に関する紹介も。

 

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樺太を探検した間宮林蔵に関する展示も充実していました。

トッショカウッシリ山、今はなんて名前なんだろ。

 

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2階には近現代の展示。

ここで充実していたのが樺太、特に日露戦争後に旧日本領だった南樺太に関する展示でした。

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第二次大戦末期、樺太の戦いの展示。

真岡郵便電信局事件で亡くなった9人の電話交換手たち。

 

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こちらは樺太の日露国境標石のレプリカ。裏面にはロシア帝国の紋章が刻まれています。

日露国境地帯に4箇所設置され、うち2つが現存しユジノサハリンスク根室にそれぞれ所蔵されているとか。

 

この他にもパネル展示を中心に、南樺太の歴史や自然・産業などが細かく紹介されていて面白かったです。

 

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定番、木彫りの熊。

展示室出口にデーンと君臨していました。

 

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ついでに塔のてっぺんの展望台にも登ってみましたが、案の定霧でほぼ眺望ゼロ。

 

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内部見学を終え、塔の外へ。

あの塔のちょうど真ん中にある扉が気になる…

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こわい

 

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周りの展望はむしろ下の方が良く見えたり。

 

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電波塔群も雰囲気があって良い。

 

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北西には自衛隊のレーダーサイト。良い…

 

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まちの方へ眼をやると、港の北端に北防波堤ドーム。思ってたより長い。

 

百年記念塔を見終えた後は、公園の北に建てられた「氷雪の門」を見て回る。

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辺りに記念碑が色々あったので、まずはそちらを順に見回り。

↑は日本初の南極観測隊に帯同した樺太犬犬ぞり訓練が、この地で行われたことに関する記念碑。

 

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第1次越冬時に亡くなった樺太犬の供養塔。「タロとジロ」のときのやつですな。

  

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樺太師範学校の同窓生が建立した記念碑。

 

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昭和43年に昭和天皇・皇后が稚内を来訪した際に詠んだ歌を刻んだ行幸啓記念碑。

 

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 氷雪の門。

公園のいちばん北、宗谷海峡を臨む場所に建てられていました。

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戦争だけでなく、樺太の地で亡くなったすべての日本人のための慰霊碑として建てられています。

Wikipediaなんかを見ると外国人の樺太への立ち入りは1989年まで制限されていたとのことで、慰霊碑建立への思いというものが碑文からも伺えます。

 

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「氷雪の門」の横には、真岡郵便電信局事件で亡くなった「九人の乙女の碑」。

 

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慰霊碑の北から宗谷海峡を臨む。残念ながら樺太は見えず。

 

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東には稚内の市街地。

 

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利尻・礼文行きのフェリーが停泊していました。

 

この後宗谷岬の方へ向かいましたがそれはまた後日。

北海道旅行(2017.7)1日目① 稚内・旧瀬戸邸

2017年7月に行った北海道旅行の記録です。

羽田から稚内に飛び、翌日から2日かけて日本海沿いを札幌まで南下、最終日には北海道博物館を見て新千歳から羽田へ。3泊4日の行程でした。

羽田から稚内

いわきから始発のひたち号に乗り込み、品川から京急羽田空港へ。

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10:30羽田発の便にて、一路日本最北の地:稚内へ。

実は飛行機を使うのは高校の修学旅行以来で事実上初めて。

荷物預かりとか手荷物検査とかスムーズに行けるかしら…と心配でしたが、特に大きな支障もなく搭乗完了して機中の人に。

 

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強風の中、昼過ぎに稚内空港へ到着。レンタカーを借りていざ出発。

 

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レンタカー店舗に向かう送迎車内から撮影。

到着早々こんな寂寥感満載の後継が眼の前に広がるのだからたまらない。

 

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まずは稚内の市街地でお昼。

 

旧瀬戸邸

最初の訪問先は、稚内市中心部に残る「旧瀬戸邸」。

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外観はいたって普通の民家ですが、国の登録有形文化財です。

昭和27年(1952)、市内で底引き網漁業等を営んでいた瀬戸常蔵が、自身の住宅として施工。当時の稚内は底引き網漁の前線基地として栄え、瀬戸氏はその中心人物として市内水産界の要職を歴任、その漁船群は「瀬戸艦隊」と称される程の威容を誇っていた…との事で、稚内の往時の繁栄ぶりを象徴する建物と言えそうです。

 

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 現在は稚内市に寄贈され、一般公開されています。

 

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入場料を払って建物の中へ。

宴席の様子が再現されています。

 

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邸の雰囲気に飲まれているせいか、襖の模様もお洒落に見えます。

 

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茶室。

 

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茶室に懸けられた自在鉤。邸内で一際目を引いた展示でした。

「八◯」は瀬戸家の屋号で、旭川の職人が瀬戸氏のために製作したもの。

 

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後ろの鉄棒部分には龍の彫り物。

 

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 漁業で財をなした方の旧宅だけあり、それ関係の展示が幾つか。

 

 

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 フネをモチーフにした縁起物も邸内のそこかしこに置かれていました。

 

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廊下や台所にはニシン漁関連の機材も。

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こういうの見るとゴールデンカムイのゴアシーン思い出すのでよくない。

 

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 2階。

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 ベランダが無い分、大きな窓が印象的。

 

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 2階に唐突に置かれたモールス信号機。

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同じく2階に置かれていた「霧笛」。

洋上において、視界不良時にはこれを作動させてフネの位置を知らせていたとのこと。1マイル以上の距離に達する音を6秒以上発生できるよう規定されていたようで、、実際写真の霧笛を少し鳴らしてみたら、かなり大きな音が出ました。

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窓の格子とか電灯とかも細やかで、あちこち見ていて楽しい施設でした。