nori1104の日記

旅行とか展覧会の感想とか

秋田旅行2日目④ 久保田城跡を歩く

 

 

nori1104.hatenablog.com

の続き。

久保田城跡

赤れんが郷土館の次は久保田城跡へ。

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慶長2(1602)年に秋田に入部した佐竹義宣の手によって、翌3年(1603)年に窪田の神明山に建てられた城。

本丸・二の丸部分は明治時代に、長岡安平の設計で公園として整備されています。

秋田市佐竹史料館

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二の丸の公園入口にある「秋田市佐竹史料館」を見学。

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それほど大きな史料館ではないのですが、中に入るといきなり眼の前に佐竹義重所用の黒塗紺糸威具足が展示されていて、戦国時代好きの心を掴んでくれます。

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その他にも佐竹義宣所用の二枚胴具足(肖像画でお馴染)や佐竹氏ゆかりの調度品等々が展示されており、佐竹氏関連の展示としては今回訪れたなかではピカ一でした。

千秋公園を歩く

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雨降りしきる中、久保田城跡内を散策。

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長坂門跡の枡形虎口。

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表門(再建)。

御物頭御番所

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表門前にある御物頭御番所。

久保田城は明治13(1880)年の大火で殆どの建物が焼失していますが、この御番所は18世紀後半の建築と推定され、城内で旧位置に残る唯一の建造物となっています。

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物頭が詰めて登城者を監視していた部屋。薄暗い雨空の下で雰囲気が出ていました。

本丸:八幡秋田神社など

表門をくぐった先は本丸です。

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本丸の様子はこんな感じ。

かつては政庁と本丸御殿が置かれ、周辺の土塁の上は多聞長屋と板塀で囲み、要所要所に隅櫓が置かれていたとのこと。

 

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本丸に鎮座する八幡秋田神社。

明治11年(1878)年に、初代藩主秋田義宣を祀る「秋田神社」として創建され、同32(1899)年に現在地に移されました。現在は9代藩主義和、12代藩主義堯、佐竹氏の氏神だった八幡神社が合祀され、明治40(1890)年に現在の名称に改められています。

かつての社殿は、文政年間(1818~1829)に城内に造営された大八幡宮のものが移築され使用されていましたが、平成18(2006)年に焼失。現在の社殿は再建されたものです。

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八幡秋田神社横にある与次郎稲荷社。

久保田城築城以前、神明山周辺に棲んでいたとされるキツネの頭:与次郎を祀ったもの。

よく見ると奉納されているキツネの像の形がそれぞれ微妙に異なっていて面白かったです。

 

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本丸の西北隅にある、平成元(1989)年に市制100周年を記念して復元された隅櫓。

…ただし、てっぺんに展望台が追加され、模擬天守のような姿になっています。

元々この場所にあった櫓は二階造りで、武器庫を兼ねた役割を担っていたようです。

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内部は佐竹氏の治世の解説がパネル展示されています。

 

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往時の久保田城を再現した模型も。

 

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本丸周辺。

 

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4階の展望台から秋田市街を臨む。

久保田城築城を題材にした岩明均の短編「雪の峠」のラストに描かれた秋田市街地の風景ですね。

 

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 (↑「雪の峠」より)

 

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本丸に設置された佐竹藩最後の当主:佐竹義堯公の銅像

元は大正年間に造立されましたが、第二次大戦中に金属供出され、現在の像は平成元年に復元されたもの。

彌高神社

本丸から今度は裏門跡を通り、再び二の丸部分へ。

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 二の丸の北側には、平田篤胤佐藤信淵を祀った「彌高神社」があります。

こちらの本殿・拝殿はかつて久保田城内にあった「正八幡宮」の社殿を転用しており、県の文化財に指定されているとのこと。

消失した八幡秋田神社の方は「大八幡宮」なので、それぞれ別の社殿が城内にあったということなんでしょうかね。

 

http://www.city.akita.akita.jp/koho/data/html/0786/0786_03_04.htm

秋田市HPのこちらの記事によると、佐竹氏初代昌義が石清水八幡宮から勧請したのが「大八幡」、13代義人が鶴岡八幡宮から勧請したのが「正八幡(小八幡)」だったとか。なるほど、大と小。

 

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拝殿は見れない感じだったので、拝殿のみ撮影。

 

 

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神社の前方には庭園が広がっていますが、これは明治期の千秋公園造成の際に整備されたものとのこと。

設計を担当した長岡安平は、明治~大正期に東京都嘱託として東京都内をはじめ全国各地の公園設計に携わっていたようです。

秋田旅行2日目③ 赤レンガ郷土館(旧秋田銀行本店本館)

秋田旅行2日目② 佐竹氏の菩提寺と秋田県立博物館 - nori1104の日記

の続き。

 

お昼過ぎに県立博物館を出発し、秋田市中心部へ。

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繁華街の一角にあるお店でラーメンをいただく。

ぼく「すみません、この…えっと…(『千秋麺』って何て読むんだ…?)『ちあきめん』?ってのください」

お店の人「ああ、『せんしゅうめん』お一つですね。かしこまりました」

ぼく「あっあっ…ごめんなさい…」

久保田城跡の「千秋公園」にちなんだ料理名であることも知らず、他所から来た人であることがモロバレのやり取りでした。

後で知ったのですが、この辺りで一杯やった後の〆のラーメンの定番だとか。美味しかったです。

 

赤れんが郷土館(旧秋田銀行本店本館)

 

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昼食を終え、市街地最初の見学先:赤れんが郷土館へ。

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秋田銀行本店本館として明治45(1912)年に建造され、昭和44(1969)年まで銀行の店舗として使用されていました。戦後の一時期はアメリカ進駐軍の軍政部として利用されたこともあるとのこと。昭和56(1981)年に秋田銀行から秋田市に寄贈され、平成6(1994)年に国の重要文化財に指定されています。

1階部分は白の磁気タイル、2階部分はその名の由来ともなった赤い化粧煉瓦が外壁に施されています。土台には男鹿石が利用されています。

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外観も非常に美しいのですが、内部もお見事。入ってすぐの営業室では、天井の石膏の彫刻に圧倒されます。

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気づいたら天井の写真ばかり撮っていました。f:id:nori1104:20170604205655j:plain

扉周りの装飾にもほれぼれ。

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営業室の奥には頭取室と金庫室。

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 2階部分から営業室を眺める。トラス工法のお蔭で支柱のない開放的な空間。

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通路の装飾も一つ一つが素敵。

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 貴賓室。内装にもひときわ力が入っていました。

 この他には常設展示として、秋田市内の伝統工芸の展示、木版画家・勝平得之、鍛金家の関谷四郎の作品展示などがあり、企画展示室では土方巽と秋田にまつわる展覧会が開かれていました。

秋田旅行2日目② 佐竹氏の菩提寺と秋田県立博物館

長らく放置してしまいましたが、半年前の秋田旅行記の続き。

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天徳寺:佐竹氏の菩提寺に残る重文建築

ホテルで朝食の後、角館を出発。

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下道を車で1時間ほど走り、本日の旅行先:秋田市へ到着。まずは佐竹氏の菩提寺:天徳寺にお参り。

元々は常陸太田にあったお寺。寛正3年(1462)、佐竹義人が夫人を弔う為に創建したのが始まりで、その後水戸を経て佐竹氏の転封に伴い秋田楢山に移転。寛永元年(1624)に火災に遭ったのを期に現在地に移転しました。

上の写真に写る総門は寛永元年の火災で焼け残り、寺の移転とともに現在地に移された境内最古の建築物。この総門の他、山門、本堂、書院、佐竹家御霊屋が国の重要文化財に指定されています。

 

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総門をくぐり、宝永6年(1709)建立と伝わる山門を臨む。

お寺の前はけっこう車通りの多い県道に面しているのですが、境内に入ると外の喧騒とは隔絶された静穏な空間が広がっていました。

 

門脇に置かれていた看板に、本堂・書院は保存修理工事のため平成35年まで拝観不可との文字が。あーこれはアレだな、中に入れても建物は覆屋で見れないやつか。まぁそういう巡り合わせなら仕方ないな、などと想いながら参道を歩いていたのですが、

 

 

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 山門をくぐると、覆屋も無く目の前に茅葺き屋根の立派な本堂が。本堂前のスペースが工事区画のため、少々殺風景な中を遠巻きの参拝となりましたが、貞享4(1687)年に1万石を投じて建造された立派な本堂を眺めることができました。

書院と佐竹家霊屋は工事中のため立ち入りできず、次の目的地である秋田県立博物館へ向かいます。

 

秋田県立博物館:「発掘された日本列島展2016」を見る

 

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 かなり本降りとなってきた雨のなか、秋田市の北のはずれにある県立博物館に到着。

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 まずは巡回していた文化庁の発掘速報展「発掘された日本列島2016」を観覧。

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展覧会内部は撮影OKでした。これは新潟県糸魚川市の六反田南遺跡から出土した縄文土器群。

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ひとつひとつの土器の造形が異なっていていつまでも見ていられます。

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奈良市国史跡・中山瓦窯跡から出土した鬼瓦。中山瓦窯跡は平城宮に供給する瓦を生産していたとのこと。

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福島県須賀川市・稲村御所館跡から出土した、呪いの墨書のあるかわらけ。

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伏見城跡出土の金箔瓦。

・・・等々、全国各地から出土した考古資料を堪能しました。

あとこの「発掘された日本列島」展、東日本大震災以降は「復興のための文化力」と題して、震災被災地における復興事業に伴う発掘調査の成果を継続して特集展示してくれています。

今年度の被災地における発掘成果で面白かったのは福島県楢葉町の高橋遺跡で、全国的にも珍しい男性型の土偶が発見されたとのこと。高さ6cmほどのとても小さな男性型土偶が展示紹介されていました。

また今回は、地震や噴火、洪水などの被害や、災害からの復興の様子が分かる遺跡についても、2つ目の特集「復興の歴史を掘る」で紹介されていました。火山灰に埋もれた畑地を復旧する「天地返し」の遺構が見られる横野山王遺跡(神奈川県秦野市)、地震で生じた地割れを瓦礫捨て場に活用した段ノ原B遺跡(福島県相馬市)などの事例が興味深かったです。

 

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秋田県立博物館、常設展示の方は人文展示と自然展示、秋田出身の偉人を顕彰する「秋田の先覚記念室」等があり、全てをじっくり見ようとすると丸一日はかかりそうなボリュームでした。それでいて常設展観覧料は無料という気前の良さ。今回は時間の都合で人文展示のみを一通り観覧。残念ながら一部を除いて撮影禁止だったのであまり写真はありません。これは!と思うような展示については(訪問から半年以上経った)今ではあまり思い浮かばず何とも申し訳ないですが、古墳時代の展示が少なめで代わりに秋田柵・払田柵や前九年・後三年の役等、古代の展示が充実していた(気がする)のは特徴的だった、ような気がします。

 

秋田旅行2日目① 角館・天寧寺の芦名氏墓所

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↑の続き。

ちょっと早めの時間に起床。

この日は一日中あいにくの雨。

博物館を中心に予定を立てていたのが幸いでした。

 

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 朝食まで時間があったので、雨でしたが朝の角館の町を少しだけお散歩。

ホテル周辺は田町と呼ばれ、芦名氏の旧臣が多く居住した内町に対し、佐竹本家から芦名氏へ付けられた直臣が多く居住した地域になっています。

伝統的建造物群の指定は受けていませんが、それでも黒塀に囲まれた立派な家が建ち並んでいて、内町にも劣らない風情がありました。

↑の写真は仙北地方の大地主だった太田家の門構え。中の洋館も見事な外観でした。

 

天寧寺:芦名氏の菩提寺

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 朝の散歩の目的地にしたのは、武家屋敷エリアの東の外れにある天寧寺。

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芦名氏の菩提寺として、寛永年間に会津の天寧寺から勧請されたお寺です。

 

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 天寧寺境内に佇む芦名氏の墓地。仙北市指定史跡。

角館を治めた芦名義勝とその子盛泰・盛俊、盛俊の子・千鶴丸、そして義勝・盛俊の妻や盛俊に殉じた家臣2名の祀られています。

 

芦名義勝は義広、あるいは盛重の名前の方が有名でしょうか。佐竹義重の二男として生まれ、天正15年(1587) に会津を領有する芦名家へ養子入りし家督を継承。しかし天正17年(1589)、摺上原の戦い伊達政宗に破れ、生家の常陸へ亡命。秀吉から佐竹氏与力として江戸崎45,000石を与えられますが関ヶ原後に所領没収。慶長7年(1602)に佐竹氏ともども秋田入りし、角館1万6,000石を与えられました。現在に残る武家屋敷の町割りは、義勝の治世下で行われたものです。個人的には政宗に滅ぼされた印象しかなかった義勝でしたが、現在まで残る角館の町並みを作り上げた人物だったとは知りませんでした。

 

角館に安住の地を得た芦名氏ですが、次代盛俊は20歳で夭折、その子千鶴丸に至っては、4歳の時にここ天寧寺の縁側から転落死してしまい、明暦2年(1656)に絶家が確定してしまいます。戦国末期にも芦名氏は盛興(享年29)・盛隆(享年23)・亀王丸(享年3)と当主が相次いで夭折していますが、角館に移ってからも、その流れをほとんど止められなかったのか…と物悲しい気持ちになりました。

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 天寧寺境内に鎮座する青銅製の阿弥陀如来坐像。Wiipediaによると千鶴丸の供養のために作られたもので、千鶴丸が転落死した敷石(沓脱石)が土台石にされているとか。

 

秋田旅行1日目 角館武家屋敷を自転車で回る

10月の連休中、車を使って秋田県を3泊4日で旅行してきました。

1日目は角館、2日目は秋田市の県立博物館と久保田城周辺、3日目に男鹿半島を周回して、4日目に秋田城周辺と由利地方を見て帰宅という行程。

今回は1日目の角館武家屋敷周辺を見て回ったことについて。

 

早朝に地元(いわき)を出発して、常磐自動車道仙台東部道路仙台北部道路東北道→秋田道とひたすら北上。

常磐道のいわき中央以北(暫定2車線)が意外に交通量の多いことを実感したり、仙台東部道路で通勤ラッシュの渋滞に巻き込まれたりしながら、最初の目的地である大曲の胡四王神社へ。

 

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常磐道南相馬鹿島SAにて。ベンチに野馬追のシルエットが透かし彫り。

 

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同じく南相馬鹿島SAにて。SA内に鎮座する稲荷神社。

 

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秋田道:長者原SAにて。SA敷地の大半を占める栗園が熊に侵略されていた。

 

古四王神社(大曲市

秋田県に入り、最初に立ち寄ったのが大曲インター近くに鎮座する古四王(こしおう)神社。

 

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その名称から、古代に「越(こし)の国」と呼ばれた北陸地方から移住してきた集団が、その祖神を祀ったのが始まりと伝えられているとのこと。

 

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本殿は元亀元(1570)年、戸沢氏の被官:富樫左衛門太郎勝家が奉行となり造営したと伝えられており、国の重要文化財に指定されています。

 

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現地の解説板。「手法磊落放縦端倪すべからず実に奇中の奇珍中の珍なり(伊東忠太)」「建築様式に全くこだわらず、和、唐、天を超越した添加一品の建物(天沼俊一)」と、建築史家が力強いコトダマで建築を賞賛しています。

 

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確かに組物の造形は見事で見ていて惚れ惚れします。ちなみに解説板にも記載されていますが、本殿の造営に携わったのは飛騨の大工:甚兵衛とされ、建物全体で釘は1本も使われていないとのこと。

 

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境内はよく刈り払われていて明るく、歩いていて気持ちのいい神社でした。

 

角館武家屋敷

古四王神社近くにある払田柵跡(アンド秋田県埋蔵文化財センター)に寄りたい気持ちもありましたが時間的に断念。本日のメイン&宿泊地である角館武家屋敷へ直行。

桧木内川沿いの駐車場に車を停めて、車に積んでいた折りたたみ自転車で武家屋敷周辺を巡回することに。

 

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重要伝統的建造物群保存地区の内町地区。

信長の野望」が教科書代わりだった身としては角館=戸沢氏というイメージが強かったのですが、現在に残る町割りは戸沢氏転封後、佐竹氏の元で角館を統治した芦名氏の時代に整えられたものとのこと。

戸沢氏時代の城下町は、武家屋敷北にある古城山(角館城跡)のさらに北側に広がっていたそうです。

花も紅葉もシーズン外、それでも自転車を走らせていてとても気持ちの良い空間でした。

 

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公民館ですらこんな門構えなのだからズルい。

とはいえ何の努力も払わずに現在の町並みが昔から維持されていた訳ではなく、電柱の撤去や民家外観の修景、通りに面していたプレハブ小屋の改築など、昭和51年に伝建地区の指定を受けて以来、継続的に町並み形成・維持の取り組みが行われてきたようです。

 

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 まず昼飯ということで稲庭うどん。帰ってから職場で「いなばうどん」と言い間違えて大恥かきました。って言うか「いなばうどん」だとずっと思ってた。「いなにわ」だったとは…

 

角館町平福記念美術館

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 腹ごしらえを終えて、最初に立ち寄ったのが平福記念美術館。角館出身の日本画家:平福穂庵・百穂父子をはじめとした郷土画家を顕彰する美術館です。

建物の造りは何故か北欧風。

平福穂庵(1844~1890)と百穂(1877~1943)、個人的には6年ほど前に福島県立博物館の展覧会で見て以来気になっていた画家で、今回の秋田旅行でもこの平福記念美術館は必ず行こうと思っていた場所の一つでした。

企画展開催中なこともあってか、平福父子の展示は十数点と少なめでしたが、百穂による屏風絵「孔雀」をはじめ、古典的な要素と自然主義的な要素を併せ持つ動植物の絵画は素晴らしかったです*1

企画展の方は、角館出身で秋田県内で活動しているイラストレーターの佐藤待子さんの作品展。初めて聞く画家さんでしたが、地域誌の表紙や公共交通機関のポスターなども手掛けていて、地域文化の一端が垣間見えて興味深かったです。

 

石黒家住宅

 美術館を出た後は武家屋敷巡り。

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まずは石黒家。角館に現存する武家屋敷の中でも最も古く、文化6(1809)年以前まで遡る建築。

石黒家は越中国にルーツを持ち、芦名氏断絶後に角館を統治した佐竹北家の下で代々勘定役を務めた上級武士。この家に移ったのは嘉永年間とのこと。

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今でも石黒家の方が居住していますが、座敷の一部に上がって内部を見学することができます。

 

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灯りに照らされる欄間の透かし彫り。蠟燭の時代はもう少し見え方が違っていたようですが。

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 文蔵の入り口。なかなか凝った装飾。

 

柳家住宅

 

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石黒家のすぐ南にある お屋敷。青柳家会津にルーツを持つ芦名氏の旧臣の出。明治以降も地主として経済的に町をリードする存在だったらしく、武家屋敷の中でも広大な敷地と豪華なお屋敷を有しています。

 

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蔵の中には武具類がズラリ。

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この青柳家、「角館歴史村」という別名を持っていて、広大な敷地内に点在する建物で家に伝わる様々な文物を展示しています。上記の武具類や武家の道具などの展示はまだ分かるのですが、この「戦史の部屋・音の保存室」では何故か旧日本軍関係の軍服やレコード類、別の棟ではアンティークもののカメラ・蓄音機などが展示されている等、全体的にはごちゃ混ぜ感が。明治以降も地主として栄えていた家なので、近代の物品がある事自体は別におかしくないですが…所々に民芸品の物販コーナーも点在していて、どことなくB級感の漂う空間が形成されていました。

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 順路終盤に設置されていた撮影スポット。サムライとは…

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表の薬医門は万延元(1860)年の棟札が残されているとのこと。この落ち着いた外観と内部とのギャップは面白かったです。

佐竹歴史文化博物館

  今回の秋田旅行の計画を立てる際、一般の旅行ガイド(まっぷる)と併せて利用したのが、地元の郷土史家の手で編集された「秋田県の歴史散歩山川出版社刊)」でした。しかしてこの「佐竹歴史文化博物館」、佐竹氏とりわけ角館を治めた佐竹北家に関する歴史資料を紹介した博物館のように思えますが、まっぷるは愚か「秋田県の歴史散歩」にすら記述無し。果たしてどうした訳か…と思いながら入館した結果、記載の無い理由が分かりました。
 この館、地図には「佐竹歴史文化博物館」とあるものの、パンフレットには小さく「佐竹工芸美術展示館」「金銀銅杢目金美術館」「林美光美術館」の文字が。実はここの正体、林美光という秋田の工芸家の方による私設美術館。解説によると、秋田藩ではかつて、金・銀・銅の板を幾重にも重ね合わせ、杢目模様を作り上げる工芸技術(ダマスカス鋼みたいなもんですかね)が伝えられており、口伝のみの継承だった為にいつしか失われてしまったその技術を、林氏が試行錯誤を重ね現代によみがえらせることに成功したのだとのこと。
 1階部分には江戸時代より伝わるらしい武具・甲冑や工芸品が展示されているものの特に解説はなし。林氏による金銀銅木目金の工芸品の展示もあり、曜変天目にも似た光輝く文様は確かに不思議で綺麗だったけど、佐竹氏の歴史文化に触れたかった身としては…はい。
 さらに2階に昇るとこちらは歴史もへったくれもなく、林氏による現代美術作品の展示。なんだこれ。しかも一番奥にある滝の絵、何だか千住博っぽい…何でもありません。
 まあこんな感じで、「秋田県の歴史散歩」でその存在が全く無視されているのもさもありなんという感じの施設でした。

 

角館武家屋敷歴史民俗資料館

 こちらも「秋田県の歴史散歩」未収録。外観は年季の入った蔵造り、入場料300円を無人カウンターの集金箱に入れて入館。中には佐竹家氏ゆかりと思われる武具や奥道具、古文書類などが所狭しと陳列されていました。個人的に印象的だったのは、館跡から出土したのであろう門扉等の金具類がケース内に半ば無造作にゴロゴロと置いてあった事。昔、磐城平城本丸跡地にあった「龍ヶ城美術館」を思い出しました。

ちなみにと言ってはなんですが、現地で角館武家屋敷の歴史を知りたい時には、石黒家や後述の樺細工資料館で販売している仙北市教委発行の図録(500円)を買うのが一番良い気がします。

 

岩橋家・河原田家・小田野家

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 青柳家と同じく芦名氏旧臣の岩橋家住宅。

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 同じく芦名旧臣で、近代以降は電気・水道事業を展開した河原田家。

小田野家は小田野直武を出した系統の分家筋の建物が保存されていました(写真撮り損ねてた)。

 

安藤家醸造

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 武家屋敷の南側に広がる町人街・外町に自転車を走らせて、安藤醸造の煉瓦蔵を見る。

明治24(1891)年竣工で東北最古の蔵座敷。

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1階・2階境界部分の化粧積み。

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内部はお座敷になっていてこちらもお見事。現在も家の婚礼の際には利用されているようです。

 この安藤家、現在も味噌・漬物・醤油の製造で営業を続けており、中の休憩スペースでお漬物の試食もできます。

角館樺細工資料館

最後に武家屋敷に戻り、戸沢氏が拠った古城山に登ろうと思いましたが時間的に断念。

代わりに閉館間際の角館樺細工資料館に入ってみる。

 樺細工は桜の樹皮を使った木工工芸で、18世紀末ごろから角館の下級武士の副業として製造していたもの。明治以降、秩禄処分で収入のなくなった武士が本業とするようになり、勧業博覧会への精力的な出展を行って販路を拡大していったとのこと。

企画展は角館に伝わる「白岩焼」の展示。明和8(1771)年に相馬の瀬戸師:松本運七によって伝えられ、藩主への献上品や生活雑器などが盛んに作られたものの、明治以降は衰退。明治29(1896)年の大地震ですべての登窯が潰れてしまい断絶したものの、昭和50年に陶芸家の末裔が復興し現在に至る…とのこと。海鼠釉の青色が綺麗でした。それにしても町割りのルーツが嘗て会津を治めていた芦名氏だったり、相馬から焼き物が伝来していたりと、意外に福島との縁がありますね角館。

 

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 この日の宿泊は角館の田町武家屋敷ホテル。自分には身に余るお洒落なホテルでした。

一人旅なのに部屋がツインだったので本当に持て余しました。

*1:語彙力が無いのでWikipediaの表現をパクった