nori1104の日記

旅行とか展覧会の感想とか

北海道旅行2日目① 稚内港北防波堤ドームとノシャップ岬

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の続き。北海道旅行の2日目。

稚内から日本海沿いのオロロンラインを南下して留萌の街を目指します。 

 

今日は見たい所も多いので、早めに朝6時にホテルを出発。

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車の中でセイコーマートごはん。

 

最初の目的地は稚内港。昨日周り切れなかった「北防波堤ドーム」を訪ねる。

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天気はちょっとあいにくな空模様でしたが、それが逆に良かった。

 

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 戦前、この場所には稚内樺太間の定期船である稚泊連絡船の発着所があり、しばし防波堤を越えてくる北の荒波から乗客を守ることを目的に昭和11年(1936)に完成。その後老朽化が進み、現在のドームは昭和53~55年に復元改修されたもの。

 

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 訪問時は半袖だと肌寒いくらいでしたが、しばし寒さも時間も忘れて見惚れていたのでした。

 

 

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防波堤ドームの前には、昭和45年に建立された稚泊航路の記念碑と、

 

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稚泊連絡船への接続列車を牽引していたC55蒸気機関車の主動輪が置かれていました。

 

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ドームの横には巡視船が2隻。

「りしり」の大きさには驚かされました。

 ドームの先で撮影。こうして見ると7月の光景とは思えぬ。

 

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 ドームの端にあった鉄の扉。SCPが収容されてそうな雰囲気。

 

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ドーム北側より宗谷海峡を撮影。

 

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ドーム前の信号機。強風のせいか傾いてました。

 

防波堤ドームの後は、引き続き北上してノシャップ岬へ。

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イルカのモニュメントがろまんちっく。

 

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ノシャップ岬の碑。横には船の錨。

 

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稚内灯台とノシャップ寒流水族館。

寒流水族館も興味はあったのですが今回はパス…どうも自分の一人旅、動物園や水族館の類を軽視しすぎているように思えてならない。

 

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岬のすぐ横にあった小さな漁港(恵山泊漁港)。

 

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向こうにかすかに自衛隊の基地が見えます。 

北海道旅行1日目③ 宗谷岬・宗谷丘陵

nori1104.hatenablog.com

の続き。

 

稚内公園を周り終えた時点で既に時刻は16時半。まあ日没時間も遅いことだし、日没前に宗谷岬一帯を見て回るぐらいならできるでしょう…という訳で、一旦市街地を離れて日本最北端の地・宗谷岬へ。

 

稚内市街地から宗谷岬までは意外と距離があり、車で30分強の道のり。

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道中、何度も車を停めて風景を写真に収めたい欲求に駆られ大変でした。 

丘向こうに風力発電が見える所で、1度だけ車を停めて撮影。

 

宗谷岬には17時ごろ到着。

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…が、岬の広場で何やらドラマか何かの撮影中で、しばらく一般人は立ち入りできず。そんな訳で、まずは丘の上にある旧海軍望楼から見学。

 

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明治35年(1902)、日露間の緊張の高まりに伴い建設され、日露戦争終結後も無線通信基地として、太平洋戦争中は対潜水艦監視基地として利用されていたとのこと。

 

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裏から見るとこんな感じ。内部と屋上部分は立ち入り不可。

 

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解説板の「船のブリッジを形づくる…」の通り、このアングルで見ると確かに艦橋っぽい。

 

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望楼の中を覗くこともできましたが、空っぽでした。

 

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望楼からの眺め。

 

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左手には宗谷岬灯台

 

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望楼から見た宗谷岬。ドラマの撮影も終わった様子。

 

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望楼の横には「平和の碑」が設置されていました。

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昭和18年(1943)10月に宗谷岬沖合で撃沈された米潜水艦・ワフー号と、ワフー号の作戦により沈められた日本船の犠牲者を追悼するために、日米合同で建てられたものだそうです。

碑の前にある2本のポールにはそれぞれ日米の国旗を掲げるのかな。

 

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さらにその横には、宗谷海域で亡くなった旧日本海軍戦没者の慰霊碑。

 

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慰霊碑の前にある廃食堂でも何やら撮影が行われていました。

先輩クルーらしき人が後輩と思しき人を怒鳴りつけている光景を目にしてつらい気持ちになりました。

 

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「あけぼの像」。酪農関係の像らしく。

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解説文を見ると、この地における苦労に満ちた農業史の一端に触れることができます。

 

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欧州人として初めて宗谷海峡を通過し、海峡の国際名称の由来となったラ・ペルーズ伯爵の顕彰碑。

 

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ここで一旦丘を下りて「日本最北端の地の碑」へ。

 

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最北端。

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「N」の字だそうです。

 

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海の向こうにかすかに見える弁天島

本当の日本最北端(ただし北方領土は除く)。

 

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間宮林蔵像。

「日本最北端の碑」を眺めるような格好で立っていました。

 

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公園内の位置関係はこんな感じ。とにかく石碑が多い。

 

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日本最北端の神社・宗谷岬神社。

社殿の作りは北海道に多い神明造。

 

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神社上空。

 

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神社の辺りから最北端を撮影。人影もまばらになってきました。

 

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海沿い一帯をあらかた見終え、再び丘の上へ。

 

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数ある記念碑・慰霊碑の中でもひときわ大きく聳えていた「祈りの塔」。

昭和58年(1983)に発生した大韓航空機撃墜事件の犠牲者を追悼するもの。

 

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高さは事件発生年に因んで19.83m。

翼の数は犠牲者の母国数と同じ16枚、利用されている御影石の数は犠牲者の数と同じ269枚なのだとか。

 

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碑文からは、遺族の悲しみと怒りと祈りの気持ちが偲ばれます。

 

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「祈りの塔」の近くにあった「世界平和の鐘」。 

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梵鐘風のデザインにWORLD PEACE BELLの銘文のミスマッチさが良い。

 

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横の花壇にも「世界平和」。

 

気がつけば記念碑の写真ばかり撮っていました。
市街地のホテルに向かう前に宗谷岬牧場の方を覗いてみようと、少し遠回り。

牧場自体は防疫上入場不可でしたが、

 

 

この景色を見ただけでも、寄り道した甲斐がありました。

 

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道の横はこんな感じ。

北方記念館の展示によると「周氷河地形」と呼ばれるもので、明治時代の山火事で森林が焼失し、その後も低音と強風の影響で森林が再生されないのだとか。

 

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遠くにはかすかに風力発電所の群れ。

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同じく遠くには放牧されている牛の群れ。

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のんびり草を食んでいました。

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 日本最北端に宗谷丘陵、初日からいきなり最高の景色に出会ってしまいました。

 

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ホテルに向かう途中でセイコーマートに立ち寄り。人生初セイコーマート

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旅の空気に飲まれてるせいかどうか分かりませんが美味かったです。

ただのコンビニ飯ですら特別な気持ちになるのだから北海道ずるい。

 

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ホテルに着いたのは19時前。

休憩もそこそこに、稚内駅そばにある「副港市場」の日帰り温泉でひとっ風呂。

 

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副港市場、お店はほとんど営業時間外でしたが、稚内港駅や樺太に関する展示も内部にあって楽しめました。

 

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温泉の後は海沿いを歩いて

 

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停泊していた漁船を撮ったり

 

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停泊していた漁業取締船を撮ったりしました。

 

 

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20時を過ぎて、南稚内駅前にある「えぞ番屋」でようやく晩ごはん。

 

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実質およそ半日の活動期間でしたが、充実した1日でした。

北海道旅行1日目② 百年記念塔と稚内公園

nori1104.hatenablog.com

の続き。

 

瀬戸邸の次は、市街地西側の高台にある稚内公園へ。

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稚内開基百年記念塔。

1879(明治12)年に宗谷地方に戸長役場が設置されたのを稚内市の開基として、それから100周年を記念して1978(昭和53)年に建造されたものです。

 

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辺りは日本海側から吹き付ける風が滅茶苦茶強く、風に向かって歩くのも一苦労といった感じでした。

 

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1階・2階部分は展示室になっています。

 

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まずは1階部分。

記念館内に入ると、間宮林蔵銅像がお出迎え。

宗谷岬にある間宮林蔵像と作者が一緒なので、同じ型のものでしょうか。

北海道の博物館はこの館が初訪問ですが、続縄文からオホーツク文化・擦文文化、アイヌ文化と、本州と大きく異なる歴史の展開に興味津々。

 

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江戸後期になると、北辺の警備を命じられた諸藩の越冬の苦労を伝える展示も。上の写真は安政年間に日本で初めて製作された西洋式ストーブ「カッヘル」の模型。

 

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寛政年間に宗谷を訪れた幕臣の記録に残る「寝棺」。

寝るときには蓋を閉め、まさに棺のような姿で寒さをしのいだとのこと。

 

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 昭和36年を最後に途絶えた「宗谷アイヌ」の文化に関する紹介も。

 

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樺太を探検した間宮林蔵に関する展示も充実していました。

トッショカウッシリ山、今はなんて名前なんだろ。

 

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2階には近現代の展示。

ここで充実していたのが樺太、特に日露戦争後に旧日本領だった南樺太に関する展示でした。

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第二次大戦末期、樺太の戦いの展示。

真岡郵便電信局事件で亡くなった9人の電話交換手たち。

 

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こちらは樺太の日露国境標石のレプリカ。裏面にはロシア帝国の紋章が刻まれています。

日露国境地帯に4箇所設置され、うち2つが現存しユジノサハリンスク根室にそれぞれ所蔵されているとか。

 

この他にもパネル展示を中心に、南樺太の歴史や自然・産業などが細かく紹介されていて面白かったです。

 

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定番、木彫りの熊。

展示室出口にデーンと君臨していました。

 

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ついでに塔のてっぺんの展望台にも登ってみましたが、案の定霧でほぼ眺望ゼロ。

 

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内部見学を終え、塔の外へ。

あの塔のちょうど真ん中にある扉が気になる…

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こわい

 

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周りの展望はむしろ下の方が良く見えたり。

 

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電波塔群も雰囲気があって良い。

 

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北西には自衛隊のレーダーサイト。良い…

 

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まちの方へ眼をやると、港の北端に北防波堤ドーム。思ってたより長い。

 

百年記念塔を見終えた後は、公園の北に建てられた「氷雪の門」を見て回る。

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辺りに記念碑が色々あったので、まずはそちらを順に見回り。

↑は日本初の南極観測隊に帯同した樺太犬犬ぞり訓練が、この地で行われたことに関する記念碑。

 

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第1次越冬時に亡くなった樺太犬の供養塔。「タロとジロ」のときのやつですな。

  

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樺太師範学校の同窓生が建立した記念碑。

 

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昭和43年に昭和天皇・皇后が稚内を来訪した際に詠んだ歌を刻んだ行幸啓記念碑。

 

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 氷雪の門。

公園のいちばん北、宗谷海峡を臨む場所に建てられていました。

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戦争だけでなく、樺太の地で亡くなったすべての日本人のための慰霊碑として建てられています。

Wikipediaなんかを見ると外国人の樺太への立ち入りは1989年まで制限されていたとのことで、慰霊碑建立への思いというものが碑文からも伺えます。

 

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「氷雪の門」の横には、真岡郵便電信局事件で亡くなった「九人の乙女の碑」。

 

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慰霊碑の北から宗谷海峡を臨む。残念ながら樺太は見えず。

 

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東には稚内の市街地。

 

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利尻・礼文行きのフェリーが停泊していました。

 

この後宗谷岬の方へ向かいましたがそれはまた後日。

北海道旅行(2017.7)1日目① 稚内・旧瀬戸邸

2017年7月に行った北海道旅行の記録です。

羽田から稚内に飛び、翌日から2日かけて日本海沿いを札幌まで南下、最終日には北海道博物館を見て新千歳から羽田へ。3泊4日の行程でした。

羽田から稚内

いわきから始発のひたち号に乗り込み、品川から京急羽田空港へ。

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10:30羽田発の便にて、一路日本最北の地:稚内へ。

実は飛行機を使うのは高校の修学旅行以来で事実上初めて。

荷物預かりとか手荷物検査とかスムーズに行けるかしら…と心配でしたが、特に大きな支障もなく搭乗完了して機中の人に。

 

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強風の中、昼過ぎに稚内空港へ到着。レンタカーを借りていざ出発。

 

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レンタカー店舗に向かう送迎車内から撮影。

到着早々こんな寂寥感満載の後継が眼の前に広がるのだからたまらない。

 

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まずは稚内の市街地でお昼。

 

旧瀬戸邸

最初の訪問先は、稚内市中心部に残る「旧瀬戸邸」。

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外観はいたって普通の民家ですが、国の登録有形文化財です。

昭和27年(1952)、市内で底引き網漁業等を営んでいた瀬戸常蔵が、自身の住宅として施工。当時の稚内は底引き網漁の前線基地として栄え、瀬戸氏はその中心人物として市内水産界の要職を歴任、その漁船群は「瀬戸艦隊」と称される程の威容を誇っていた…との事で、稚内の往時の繁栄ぶりを象徴する建物と言えそうです。

 

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 現在は稚内市に寄贈され、一般公開されています。

 

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入場料を払って建物の中へ。

宴席の様子が再現されています。

 

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邸の雰囲気に飲まれているせいか、襖の模様もお洒落に見えます。

 

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茶室。

 

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茶室に懸けられた自在鉤。邸内で一際目を引いた展示でした。

「八◯」は瀬戸家の屋号で、旭川の職人が瀬戸氏のために製作したもの。

 

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後ろの鉄棒部分には龍の彫り物。

 

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 漁業で財をなした方の旧宅だけあり、それ関係の展示が幾つか。

 

 

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 フネをモチーフにした縁起物も邸内のそこかしこに置かれていました。

 

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廊下や台所にはニシン漁関連の機材も。

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こういうの見るとゴールデンカムイのゴアシーン思い出すのでよくない。

 

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 2階。

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 ベランダが無い分、大きな窓が印象的。

 

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 2階に唐突に置かれたモールス信号機。

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同じく2階に置かれていた「霧笛」。

洋上において、視界不良時にはこれを作動させてフネの位置を知らせていたとのこと。1マイル以上の距離に達する音を6秒以上発生できるよう規定されていたようで、、実際写真の霧笛を少し鳴らしてみたら、かなり大きな音が出ました。

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窓の格子とか電灯とかも細やかで、あちこち見ていて楽しい施設でした。

秋田旅行4日目 秋田城跡、岩城亀田、象潟

nori1104.hatenablog.com

の続き。いよいよ(ようやく)最終日です。

 

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ホテルからの眺め。

日吉八幡神社

8時ごろにホテルを出発。最初に向かったのは県庁・市役所にほど近い場所に位置する日吉(ひえ)八幡神社

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駐車場の場所がちょっと分かりにくかった。

創建はWikipediaだと平安とも鎌倉とも言われ不明とのこと。『秋田県の歴史散歩』だと元亨2年(1322)創建との記載がありますがはてさて。とにかくその頃に近江の日枝山王と京都の岩清水八幡宮を勧請したが始まり。その後幾度かの移転を経て、寛永19年(1642)に雄物川の氾濫でそれまでの社地が流されたことから、寛文2年(1662)現在地に遷宮され現在に至ります。江戸時代には外町(町人町)の鎮守として崇敬を集め、「八橋の山王」の通称で親しまれているようです。

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東西に伸びる参道を西に進むと社殿が見えてきます。
建築物の多くは明和年間(1764~1771)の大火で被災し、それ以降に再建されたものです。

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拝殿。安永7年(1778)に完成したもので、県指定。

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2つの神社から勧請したからか、神額も2つ。
真ん中の奉納額は六歌仙ですかね。

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本殿は寛政9年(1797)の建築。こちらも県指定。

堂々とした造りの三間社です。

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そして三重の塔。これも県指定。
宝永4年(1707)に建築され、嘉永7年(1854)改築。
秋田県唯一の三重塔とのこと。

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拝殿前に聳えていたこの青銅製鳥居と石橋も県指定だったようですが、詳しいことは分からず。

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神社の北側にあった随神門。やっぱり県指定。
元は将軍家の位牌を祀った寿量院というお寺の山門で、明治3年(1870)にこちらに移されたとのこと。
Wikipediaの記事によると、建物配置が東側からだと神式、この北側から見ると仏式のものになっているとかなんとか。

ともあれ、街中に残る近世の神社建築を堪能しました。

秋田城跡

次いで訪れたのは国指定史跡:秋田城跡

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 最も北に位置する城柵官衙遺跡として、国の史跡に指定されています。
史跡指定範囲は上の案内図の薄い緑色部分、実に90haに及びます。

 

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史跡公園の東側に再現された外郭の築地と東門。

実際には写真の両脇すぐ先で築地は途切れているのですが、こうしてトリミングするとなかなか雰囲気があります。

 

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東門の外に広がる鵜ノ木地区。
多数の掘立式建物や井戸・沼の跡が数多く発見されており、かつての寺院跡と推定されているとのこと。遺構の出土状況が示されています。

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井戸跡。
昭和53年にここから天平時代の木簡が発見され、遺跡が古代の秋田城跡であることが完全に裏付けられたのだそう。

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様々な儀式を行う場と思われる沼(復元)。

 

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鵜ノ木地区の一角で発見された古代の水洗式トイレ跡。
建物や内部の様子が再現されています。

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中はこんな感じ。

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別の区画では中の様子が分かるようになっています。

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建物の裏はこんな感じ。なかなか良くできてます。

ちょっとばっちい話かもですが、排出部分に堆積した土の成分分析という調査もされており、そこからトイレ利用者の食習慣、更には利用者の属性などを割り出す試みもされているようです。
当時の日本人に豚食の習慣が無いにもかかわらず、豚を常食する人を中間宿主とする有鉤条虫卵が検出されたことから、大陸からの渡来者が利用していた可能性が高く、故に秋田城が大陸からの来訪者をもてなす迎賓館・外交拠点としての役割も担っていたと考えられる…という事までが判明しているらしく、なかなか興味深いです。

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来た道を引き返して、今度は西側にある政庁跡へ。

政庁前には幅12mの立派な東大路が復元されています。

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復元された政庁周りの内郭。

築地塀の足元が傷んでるように見えますが、これはこれで雰囲気が出てる気も。

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政庁内部は建物の復元は無く、遺構の位置が示される程度になっています。

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その代わり、政庁入口そばに復元予想がミニチュアで展示されています。

時期によって建物の配置や戸数が異なったり、外壁が築地から板塀に変わっていたりしていた様子。

秋田城跡歴史資料館

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政庁跡のすぐ近くに建てられた「秋田城跡歴史資料館」。

2016年4月に開館した新しい資料館です。

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館内の秋田城ジオラマ

 秋田城の歴史、史跡からの出土遺物、そこから明らかになった秋田城の役割や当時の社会風俗等、わかりやすく紹介されていました。

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鵜ノ木地区「天平の井戸」の復元。ここから出土した木簡の年代が「続日本紀」で秋田城の記述のある年代とほぼ一致したそうで。古文書の記述と発掘された遺物との一致。その瞬間に立ち会った研究者の快感というか喜びというか、果たして如何ばかりか…と思わされます。

外交・交易拠点としての秋田城の解説も興味深く、渤海国との交流では外交関係から朝鮮半島経由ルートが使えず、樺太・北海道を経由する北回り航路や日本海横断が使われていたので、秋田城が最北の役所として渤海使節の対応を行ったことが多かったとのこと。水洗トイレ遺構の使用者に繋がる話ですね。

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廃棄文書を漆壺の蓋に再利用した結果、腐敗することなく残った漆紙文書(複製)。赤外線カメラを当てると文書が読み取れます。

この赤外線カメラで漆紙文書や出土木簡の解読を体験できるコーナーがあったのが面白かったです。昔の衣服や甲冑を体験できる博物館は数あれど、赤外線カメラで古文書解読が体験できる施設はそうそう無いですね。

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ついでなので、秋田城跡の一角にあった秋田県護国神社にもお参り。

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明治2年(1869)に戊辰戦争で亡くなった官軍戦没者を祀ったのが始まり。そういえば秋田藩奥羽越列藩同盟から造反したんだっけ。

戦後の一時期に軍国主義施設との批判を免れるために伊弉諾尊伊弉冉尊を合祀して主祭神としていた時期もあったらしく、現在も戦没者と一緒にその2柱が祀られています。あと平成2年には過激派により時限爆弾を仕掛けられて社殿全焼の憂き目にあったこともあるそうで、凄い経歴ですね。

油田!

護国神社にお参り後、秋田城跡にほど近いショッピングセンターに車を停めます。

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油田!!!!!!!!

 

ショッピングセンター入口、川沿いに整備された小さな公園に、唐突にそれは鎮座していました。

日本国内で操業を続ける数少ない油田・八橋(やばせ)油田です。

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写真のポンピングユニット(その形状から『馬のつら』という俗称が付いていたとか)は寄贈されたものらしく、現在は稼働していません。カラフルな塗装が施されていますが、製造年は50年以上前と、意外と年季物です。

 八橋油田自体は明治40年(1907)頃から試掘が行われ、昭和10年(1935)に日本鉱業により本格的な採掘を開始。全盛期の昭和30年代には年間30万klを算出し、このあたり一帯に採掘用の櫓が林立していたとのこと。今では全盛期の1割以下の産油量しかないようですが、wikipediaの該当ページには1952年ごろの油田の写真が掲載されており、往時の光景を偲ぶことができます。藤田嗣治「秋田の行事」にも左端に櫓らしき塔が描かれており、かつては秋田を象徴するものの一つだったのかなあ、と思います。

 

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油田の横を流れる川は「草生津(くそうず)川」という名前で、石油の古い呼び名である「臭水(くそうず)」に由来しており、古くから石油が湧き出る地域だったことが伺えます。

 

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近くの空き地には稼働中のポンピングユニットがあり、ゆっくりと首を上げ下げしていました。

日本的な住宅街の中に突如として現れる油井、なかなかインパクトがある光景でした。

 

由利本荘(岩城)へ

市街地の油田で石油王への夢に嘗ての産油地帯に思いを馳せた後は、市街地を離れ日本海沿いに南下。

いよいよ旅も終盤です。

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ひらがなのいわき市から漢字の旧岩城町へ。

かつて福島の磐城地方を支配していた岩城氏が、関ヶ原の戦後処理で改易された後、亀田藩2万石の領主として返り咲きを果たし、幕末までこの地を支配していました。かつての領主の名前にちなんだ地名です。

いわき市と旧岩城町とは、姉妹都市ならぬ「親子都市」の協定を結んでおり、現在の由利本荘市ともその関係が続いています。

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道の駅岩城にあった風量発電機。

この他にも海沿いに風力発電所が幾つか点在していて、巨大な風車が立ち並ぶ様はなかなか壮観でした。

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 日本海の風の強さを示す斜めの木々(この日は風もない陽気でしたが)。

これも日本海沿いを象徴する光景と言えなくはない気がします。

天鷺村

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 かつての亀田藩庁が置かれていた亀田地区へ。

歴史を題材としたテーマパーク:天鷺村が営業していたので、入場。

天守閣風の建物もあり、うっかりここが亀田城跡かと思ってしまいますが、実際の城跡は少し離れた所にあります。そこには亀田城を模した建物の美術館があったようですが、今回はパス。

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なんだこいつらは

 

真田信繁の娘・御田の方(顕性院)が亀田藩主2代:岩城宣隆の側室となり、3代藩主重隆を産んだということで、真田ゆかりの地としてのアピールがされていました。

訪問当時(2016年)は大河ドラマで「真田丸」が放映中。そういえば「真田丸紀行」でもこの地が紹介されたことがありましたね。

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天鷺村敷地内にある岩城歴史民俗資料館でも、御田の方にまつわる企画展が開催中でした。

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館内の岩城氏略年表では亀田入部前の磐城時代の年表も。

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嘉永5年(1852)に築かれた亀田城大手門の鬼瓦。

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敷地内には古民家が数軒移築されており、由利本荘市文化財に指定されています。

上の建物は泉田地区の肝煎を務めた佐々木家の住宅。江戸後期の農家の様式をよく継承しているとのこと。

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内部の様子。

 

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佐々木家住宅茶の間にあったお仏壇。明治期には養蚕をやっていたそうで、往時の裕福さを偲ばせる豪華な造り。

 

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菊水をあしらった自在鉤。

 

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こちらは武家屋敷の移築。代々亀田藩で馬術師範を務めた松村家の住宅。

 

続いて天守閣風の展望台へ。

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展望台内部に貼られていたNHKのポスター。なかなか身につまされます。

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展望台からの眺め。けっこう海が近い。

 

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他にも歴史館なんかがあったようですが、入り方が分からずパス(閉鎖されてたのかな)。それでも意外と見応えのある施設でした。

 

龍門寺:岩城家墓所

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続いて、町の外れにある岩城家の菩提寺:龍門寺へ。

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境内の一番奥に鎮座する、亀田藩主岩城家墓所

秋田市の佐竹家墓所と並び、県内に残る近世大名家墓所として、秋田県の史跡に指定されています。

中央の御霊屋には岩城家累代の位牌や二代重隆・七代隆喜の木造が置かれており、左右の覆屋の下には五輪塔が鎮座しています。

ちなみに龍門寺、岩城家の旧領であるいわき市平にも現存していて、そちらには移封前の累代当主の墓所が残されています。

町内には他に、顕性院が建立した妙慶寺にも真田ゆかりの展示があって面白そうだったのですが、駐車スペースが見つからず断念。かつて地元を治めていた殿様の「新天地」を後にしたのでした。

象潟

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途中、道の駅象潟に立ち寄ろうとしたら大変な混み様で入場できず。後で調べたらどうやらポケモンGOの聖地のような扱いになっていたらしく。今は少しは落ち着いているでしょうか。

 気を取り直して、最後の訪問先:にかほ市象潟へ。最初に郷土資料館で象潟の概要に触れる。

 象潟の始まりは紀元前466年に発生した鳥海山の噴火で、山体崩壊による「流れ山」が日本海まで到達。体積した土砂で一帯に浅い海と島々ができあがり、やがて発達した砂嘴によって海から分断して潟湖となり、古代より景勝地として親しまれるようになったのだとか。江戸時代には「東の松島、西の象潟」と並び評されたそうですが、リアス式海岸である松島とは、全く異なる形成過程を経ていたようです。

古くは歌枕の題材となり、元禄2年(1689)年に松尾芭蕉天明4年(1789)に菅江真澄が訪れるなどしていましたが、文化元年(1804)6月4日に発生した象潟地震で海底が隆起。周辺の開拓などを経て現在に至るとのこと。

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資料館の外には、鳥海山山体崩壊に巻き込まれた「埋もれ木」が展示されていました。こうした埋もれ木を年輪年代測定法で調査して、山体崩壊の発生年が割り出されたそうです。この辺では古くから埋もれ木が数多く出土しており「神代杉」として建築・工芸材料として重宝されていたとのこと。

 

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資料館を見てから象潟の現地を訪問。

松尾芭蕉等の多くの文人が訪れた古刹:蚶満寺

象潟地震の後、本荘藩によって嘗ての小島が削られ開発されそうになった時、当時の住職:覺林が景観保護のために奔走した逸話が残されています。

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江戸後期に建てられた楼門。ここから先は入山料300円。

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本堂。象潟地震の後の再建でしょうか。

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本堂裏手からのかつての九十九島。うーん…割と近くに住宅街もあってここからの風景はいまいち…。田んぼに水が張られた時期ならもう少し違ったかも知れませんが。それでも鳥海山の姿は流石の名峰。

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よく見ると、向こうの山に風力発電の風車が横一面にズラリ。古くからの景勝地との対比が印象的でした。

 

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かつての九十九島の風景は、むしろお寺の外から見たほうが印象的でした。

潟湖だった頃の名残がまだまだ感じられる風景。

 

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 九十九島全てを回る時間は無いので、お寺すぐ近くの「駒留島」までのみ歩いてみる。

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駒留島の頂上にあった、国指定史跡・名勝を示す石柱。

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再び鳥海山

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小島には一つ一つに名前が付けられているとか。

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壮観、という程では無いですが、田植えの時期にもう1回来ても良いかな、と思える場所でした。

 

象潟を見終えた時点で午後4時。こりゃ家に着く頃には夜中ですな…と思いながら帰路について南下。酒田から日本海東北道、山形道、東北道磐越道と乗り継いで、午後9時に帰宅。4日間、総走行距離約1,150kmの旅を終えたのでした。

角館、秋田市男鹿半島、由利地方と、それぞれ地域の歴史や自然に親しめた良い旅でした。今回行きそびれた場所もあるのでいずれまた再訪したいです。でも今回行けなかった横手や湯沢、小坂町あたりも興味深いので、次回秋田を訪れる際にはそっちがメインになるかもしれませんね。

秋田旅行3日目② 男鹿半島周回その2

 

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の続き。

入道崎へ

赤神神社を後にして、日本海沿いの道を北上。

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道中見つけた廃ドライブイン。見事な廃墟振りに思わず車を停めた。

男鹿水族館GAOにも寄りたかったのですが、スケジュール的に微妙だったのと駐車場が満車だったことからパス。まぁまた来ることもあるでしょう。

お昼ちょうどに入道崎に到着。

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お昼はうにといくら。観光地値段ですがやむなし。

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サービスでサザエも付いてきました。

 

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入道崎灯台

明治31年(1898)に設置。現在の灯台は昭和26年(1951)改築の2代目。

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白黒の縞模様が美しい。

 

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草原の先は断崖絶壁。その先にはこれぞ日本海、という感じの荒波。

 

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普段は灯台内部に登れるようでしたが、訪問時は残念ながら強風のため閉鎖中。

 

 元職員詰所と思しき資料館は、中に入ると外の風の音が一切聞こえない、堅牢な造りでした。

 

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岬の北の端から蠢く波を写す。あまりの強風で1分と居られず。

ススキのたなびき具合で風の強さを感じていただければ。

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岬の北の沖合にある水島。

真ん中に建っている白い塔は、灯台の光を反射する照射塔とのこと。

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灯台守という職業のある時代に生まれたかったなあ、などと思いつつ、強風から逃げるように退散。

 

真山神社なまはげ

 

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海沿いを離れて半島の中央部に位置する真山神社へ。

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なまはげゆかりの神社ということで、楼門にはこんな奉納額が。

国鉄土崎工場鍛冶職場という願主も渋い。

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神社の本殿は3km先の真山山頂。なので麓の拝殿だけお参り。

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境域に今も残る薬師堂。

神仏分離以前は修験道霊場だったそうです。

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2つの御神輿。

向かって右のは正徳4年(1714)に秋田藩主:佐竹義格が寄進したもの。

国や自治体の指定は受けていないとはいえ、文化財級のものがしれっと置いてあるとビビりますね。

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ここにも境内にしれっと置かれていた丸木舟。こっちは市の有形民俗文化財に指定されている模様。

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赤神神社では本降りの雨だったのに、こちらに来た時には晴天。

せわしない空模様でした。

なまはげ館・男鹿真山伝承館

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真山神社を参拝後、その横に建てられたなまはげ館を観覧。

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入館時にちょうど、なまはげの実演が行われるそうだったので、先に男鹿真山伝承館へ。

けっこう人気の施設らしく入口には体験待ちの行列ができてました。

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奥の間で座って待機していると、外壁をドンドン叩きながら2体のナマハゲが登場。

「泣く子はいねがー!悪い子はいねがー!」

お馴染のセリフを吐きながら、しばらくの間座敷を徘徊。

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 やがて家の主役の人に宥められ、酒肴を振る舞われるなまはげ

なまはげが「なまはげ台帳」なるものを取り出してそこに記された家族の悪事を読み上げ、それに対してまた主人が家族をかばいつつ宥め立て…というやり取りが繰り広げられます。

 

なまはげ「お前ぇん所の息子は…学校の宿題を何回も忘れたようだな!あと嫁は…夜な夜な家を抜け出してカラオケ三昧してるようでねぇか!」

主人「いやいやそれは…」

 

カラオケとか随分モダンなもの知ってんななまはげ。きっとこのご時世なら家族の悪口をSNSに書き込んだとか、ソシャゲに課金してお小遣い浪費したとか、そういうことも台帳に書かれてるんだろうな。

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地団駄を踏んで怒りを表すなまはげ。そういえばこのなまはげは包丁持ってませんね。

 

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子供や嫁が出てこないことに怒り、観客席を探し出すなまはげ

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客席に迫るなまはげ。裏の戸に回り込んで客席に乱入するパフォーマンスもあって、なかなか臨場感がありました。

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男鹿真山伝承館の建物は明治40年(1907)に建てられた古民家を移築したものらしく、国の登録有形文化財となっていました。次の実演時間が迫っており内部の写真はあまり撮れず。

 

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続いてなまはげ館を観覧。

 

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ここの見どころは男鹿半島各地のナマハゲ面が一同に介したこの展示。

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怖い面、ユーモラスな面、古くから使われていそうな面、アルミホイル等現代の材料を使った面など、どれも個性的。

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中には今も現役で利用されているお面もあり、なまはげシーズンになると地域の人が受け取りに来るのだとか。

しかしこのご時世、すでに中断している地区もあるんだろうなあ。

売店にはなまはげ柄のネクタイが売られていて(7,000円)、買おうかしばし迷いました。

再び大潟村へ:干拓博物館

なまはげ館を見た後は再び大潟村へ。

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村の中心地区の一角に建てられた、大潟村干拓博物館を観覧。

日本第2の面積を誇った八郎湖を、昭和32年から(1957)昭和39年(1964)年までの工事で干拓し、同年に発足した大潟村のあゆみが展示されています。

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八郎湖ビフォーアフター。かつての八郎湖の姿を見ると、男鹿半島が2つの砂州によって本土と繋がった陸繋島であることがよく分かります。

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干拓の手順に関するミニチュア展示。

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初期の入植者は全国から公募され、試験を経て選抜されたとのこと。

 

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入植当初の様子を再現したジオラマ

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単なる博物館の展示の一つかもしれませんが、大潟村の精神を象徴するかのような、そんな崇高さを感じさせられました。

 

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屋外には干拓や耕作で利用されていたと思われる器具類が展示されていました。

 

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ついでに村の中央部附近に築かれた大潟富士に立ち寄り。山頂で海抜0m。

 

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大潟富士の横に建立された、八郎潟開拓記念水位塔。半円の切れ目でちょうど海抜0m(=八郎潟の当初の水位)とのこと。

 

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海抜0mからの眺め。

八郎潟、立ち寄る前は道の両脇に広がる一面の水田!という光景を想像していたのですが、実際には車道の両脇には用水路と樹林帯が視界を阻んでおり、思っていたような光景は得られませんでした。八郎富士からの眺めも↑のような感じ。まぁ、田園地帯の一端を覗けただけでもよしとします。

 

再び秋田市街へ

 この日の宿は秋田市街地のビジネスホテル。ということで、24時間ぶりに秋田の街なかへまたまたとんぼ返り。

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夕飯は秋田県立美術館近くの居酒屋へ。

 

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比内地鶏の親子丼。

 

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比内地鶏のアイスクリーム。

 

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 秋田市街地の夜はなかなかの賑わいでした。ホテル回りはシャッター街世知辛い感じでしたが…

 秋田駅ビルでお土産を買い込んでこの日の活動は終わり。

 

秋田旅行3日目① 男鹿半島周回:寒風山と赤神神社五社堂

nori1104.hatenablog.com

の続き。

この日の旅先は男鹿半島

 

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朝食。食べ過ぎ。

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泊まったホテルの外観。

 

寒風山

この日最初の目的地は半島付け根にある寒風山。

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少し山道を登ると、芝草に覆われた開放的な空間が。

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主峰の南側のピークにある小展望台に登ってみる。

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石畳の遊歩道も相まって(海外行った事ないのでよく分かりませんが)どことなく異国っぽい。

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 小展望台から寒風山方面を臨む。

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男鹿市街地方面。奥に見える石油タンクは秋田国家石油備蓄基地のもののようです。凄みのある名前ですね>国家石油備蓄基地

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寒風山の中腹にはなにやら石碑のようなものが見えます。

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過去に周辺を襲った地震の被害を記した地震塚のようです。

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記念撮影するんじゃない。

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続いて山頂にある展望台へ。今でも現役の回転展望台。

 

 

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展望台内部はちょっとした資料館になっていました。

↑は男鹿沿岸で長らく利用されてきた丸木舟。

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色々な感情が込められていそうなプレート

 

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火口跡。なだらかな山容のなかで急峻さがひと際眼につきます。

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こちらの浅い窪みも火口跡。

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世界三景のひとつだそうです。言ったもん勝ちですね

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 昨日泊まった八郎潟方面。調整池の直線的な湖岸線が眼を惹きます。

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南の潟上市方面。こちらは海岸線の曲線が見事。

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山頂には何故か「五箇条の御誓文」を刻んだ石柱が建てられています。

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昭和5年に山頂に築かれ、同39年に現在地に移設されたとのこと。

月並みですがここまでの輸送方法が気になります。

赤神神社五社堂へ

寒風山を下り、次の目的地:赤神神社五社堂へ。

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しかし海岸沿いを走っていると所々海の様子が気になってしまい、時折車を停めて海を眺めていました。

 

 眼の前と沖合とで波の進む方向が違っていて不思議な光景でした。

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道すがら下手な写真を何枚か撮っているうちに神社入口に到着。

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男鹿半島に住まう鬼たちが、一晩で999段積み上げたという石段を登る。

ひょっこり鬼ならぬ熊に出くわさないかとビクビクしながらの登りでした。

男鹿半島には熊はいないとのことでしたが)

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石段を登ること10分。五社堂に到着。

人里離れた山中に五つの社殿が並ぶ。

元は貞観2(860)年開創と伝わる「日積寺永禅院」というお寺だったものが、明治3年に神仏分離令によって神社に改められたもの。現在の五社堂は宝永4年(1707)~同7年(1710)に秋田藩主:佐竹義格の命により改築されたもので、国の重要文化財に指定されています。

向かって右側から順に、三の宮堂、客人(まろうど)権現堂、赤神権現堂、八王子堂、十禅師堂となっています。

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土塁を登り、一社づつ参拝。

 

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先述の石段を築いた鬼の伝説は「ナマハゲ」の由来の一つとされており、以下のような伝説が残されているとのこと。

漢の武帝が不老不死の薬草を求め、5匹のコウモリを従えて男鹿半島を訪れた。5匹のコウモリは鬼の姿に変身し武帝の為に働いたが、正月15日に一日だけ休みを貰い、村里に下りて乱暴狼藉を働いていた。耐えかねた村人が武帝に対し「鬼が五社堂まで1,000段の石段を築くことができたら、毎年一人づつ娘を差し出す。もしできなかったら、二度と鬼たちを村に降ろさないで欲しい」と持ちかけた。鬼たちは一晩で999段まで石段を積み上げたものの、村のアマノジャクが鶏の声真似をして夜明けを偽り、石段完成を阻止。騙された鬼たちは、怒りに任せて近くの千年杉を引き抜き、逆さまに地面に突き刺して山へ帰り、二度と村には下りてこなかった…

不老不死の妙薬を求めた中国の皇帝といえばまず始皇帝が思い出されますが、この伝説だと漢の武帝なんですね。

上の写真の杉の木が伝説に現れる「逆さ杉」なのかな、と思いましたが、現地の説明板に「何時の頃よりか枯れ朽ちて今は古株だけが現存している」とあったのでどうも違うっぽいです。

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五社堂に着いたときは晴れ空だったのですが、いつの間にか雲行きが怪しくなり終いには雨が降り出し、しばらく手水舎で雨宿りする羽目に。そんな経験も含めて神秘的な空間でした。